Rabyrinth
…大切な想い、伝えたい…

〜Overture


…その日は――

この上もないってくらいよく晴れた日曜日でさ。
おれと、智紘がまだ…小学三年生くらいだった頃。


家から電車で三つくらい行ったとこに、ザリガニ釣りの超穴場があって、チャリンコで二人で行こうって計画立てたんだ。
よっちゃんイカとか――あ、これ、ザリガニのエサね――釣竿代わりの竹の棒とか、何日も前から用意して…
待ち合わせの時間とか、合言葉みたいに言い合って、おやつ何持って行こうとか、おふくろに頼んでおにぎり位作ってもらってさーとか…

もう…

遠足なんかよりもっともっと、胸が踊って眠れなくって…
とにかく、めちゃめちゃその日の来るのが楽しみで…。

それなのに――

そんな最高の日曜なのに、おれ達あいつんちにいるんだよ。
ダイニングのテーブルには、おれとあいつのナップザックがポツンと並んで乗っている。
窓からは、さんさんと陽が差し込んでるっていうのにさ。
隣の和室にはフトンが敷かれて、真っ赤なカオして浩平が寝てる。
祥子おばちゃんは例によって日勤で、おじちゃんもこれまた当然出張で…
こういうバアイ、智の行動は決まってる。
『大丈夫。僕が浩平見てるから、お母さん、お仕事行っていいよ』


例え、それがどんなに大事な約束だって、これは昔っから決まってて…

『ごめんね、拓(ひらく)』
――って、すまなそうに謝って見せる智の態度も100%、これも当然決まってて…。

おれはカオ中に“不満”を浮かべたふくれっつらで、フトンに寝てる浩平のコトをにらみつけた。
――大丈夫だって。こいつ、よく眠ってるし、午前中だけチャッと行って昼には帰って来ればさ。

それなのに智のヤツ、おれに向かって言うんだよ。
『坂井君、誘ってみたらどうかな?あいつもあの場所、前から知りたがってたし』

バカヤロー、ふざけんな!

あそこはな、おれ達だけの場所なんだ!
おれ達あんなに苦労して、やっと見つけた場所じゃんか!それをあっさり他人と行って来いなんて、一体全体お前ってヤツはどこまで人がいいんだよーっ!

――それなのに…

智のヤツ、おれの方なんて見ちゃいない。浩平が咳き込み始めたからだ。
智は素早く立ち上がると、あっという間にホットレモネードを作って戻って来た。そっと浩平を抱き起こして、声をかけながら少しずつそれを飲ましてやっている。
現役Ns.祥子おばちゃん仕込みのあざやかな手際。
部屋の隅の加湿器からは、柔らかな蒸気が吹き出している。


…全く、これがおれと同い年の仕事だっていうんだからな。
確かに下手な大人に頼むよりおばちゃんだって安心だろうし、何て言ったって気楽だよ。
でも…
だからってさ。
小学三年生の兄キ一人に、幼稚園に行ってるような弟を任せて、実の親が仕事に…行くか?普通。

智んちって、絶対どこかおかしいよ…。

そっと目の前に差し出された、マグカップに入ったレモネード。
湯気の向こうで智紘は、小さな声でつぶやいた。
『ほんとに…ごめん』

…いいよ、もう。どうせこんなの、今に始まった事じゃないんだし。
智は嬉しそうに微笑んだ。
『ありがとう。拓』
おれは、慌ててレモネードをごくん、と大きく飲み込んで、うかつにも舌を火傷した。

バ…バカヤロ!
何で今更…
何で礼なんて言うんだよ!

危なく涙が出そうになって、必死にそれを我慢した。
ありがとう、なんて…聞きたかねーよ、お前から。だってその台詞は寧ろ、おれが言わなきゃいけないんだ。

ザリガニなんか、ほんとはおれにはどうでもいいんだ。

ほんとうは…

こうしてお前といられるだけで。こうして、お前と出会えただけで。それだけで十分なんだから。

…来週こそ、行こうな。絶対。

智はまた、湯気の向こうでニコリと笑ってうなずいた。

絶対に――絶対に行こうな。今日が駄目でもいつかきっと。

湯気の中のあいつの笑顔は本当に…
その時のおれには本当に…
天使みたいに儚く見えて…

どうして突然そんな風に見えたのか、その時は判んなかったけど、だけどおれにとっての智紘は本当に…
誰が何て言っても本当に…
天使みたいなヤツだったんだ。

・・・To be continued.


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