「色々ありがとうね、まっちゃん」
まっちゃんは、ううん、って首を振った。
その口が『また明日』って動くのが判る。
そうだ、明日は月曜なんだ。早く帰って明日の学校の準備もしなきゃ・・・。
おみやげの包みはおかーさんと、祥子おばちゃんに。
浩平が案内してくれたおみやげもの屋さんのお菓子が、とってもおいしそうだったから。
予想に反して、浩平は私が思っていたよりずっとよく、あの街のコトを知っていた。
たぶん、萩原君のフォローが良かったからだろーけど、帰り際。私が好きそうなケーキのお店や、まっちゃんが喜びそうな小物のお店をいくつか案内してくれた。
練習の後だったからかも知れないけれど、今日の浩平は少し元気がなかった。
私の思い過ごしだと思うけど、萩原君も時々心配そうにあいつを見てて、訊いても「何でもねーよ」って笑うから、あまりしつこくしなかったけど・・・。
まあ、ムリないか。
憧れの、大きな大会が近いんだもの。
いくらシンゾーなあいつでも、さすがにちょっとはキンチョー位したりもしてるんだろう。
ここを出発した時の私は、何か気持ちが晴れなくて、ため息ばっかりついていた。
それが今は、ほんの少しだけれど軽くなってる。
浩平が、何を考えて、どうしてここを離れてみる気になったのか。
・・・
『あの飛行機に乗っていたのはおれだったってよかった筈だ。智兄がおれを生かしてくれた。だとしたら、おれはあいつの分まで出来ることを精一杯やるしかない。おれはおれの場所でがんばるっきゃないんだよ』
・・・
浩平は、自分の夢を叶えるためにがんばってるんだと思ってた。
もちろん・・・
それはそうなんだけど、智兄ちゃんの事を、あいつがそんな風に受け止めていたんだなんていう事は、私全然思ってなくて・・・。
『智兄がおれを生かしてくれた』
・・・
そう、だよね。
智兄ちゃんが私たちを生かしてくれた。たくさんの思い出、優しい笑顔、たくさんたくさん残してくれた。
それを・・・無駄にしたりしちゃいけない、よね。
・・・
私も、強くなりたい。ならなきゃいけないのかも知れない。
大好きだった智兄ちゃんに、少しでもほめてもらえるように。
『がんばったね、このみちゃん』
懐かしいあの声が聞こえるように。
――
バス停から我が家（・・・っつってもマンションなんだけど）までは、ものの５分もあれば着く。
エレベーターを上がって、三つ目の部屋が私んち。その奥が浩平の家。
・・・祥子おばちゃん、いるかな？
何しろ三交代の勤務だから、明けでも入りでも寝てたら悪いし・・・
お夕飯の前にでも行ってみよう。浩平のこと、話したいし。
・・・
そんな事を考えて、自分ちのドアを開けようとした時だった。
バーン、ってものすごい勢いで内側から戸が開いた。
危ないとこだった。あと少しで思いっきり顔をぶつけるとこだった。
「・・・お兄ちゃん」
それは拓兄キだった。
一週間もサイパンに行っていたっていうのに、全然日焼けしていない。
さすがにお仕事のこと気を遣ったのかしら。
そんなのんきな事を考えて・・・
兄キもまさかそこに私がいるなんて全然思ってもなかったみたいで、ハッと一瞬息を飲んだ。
「危ないじゃない！もう少しでぶつかるとこだったんだからっ！」
思わず叫んで・・・
その時気づいた。
兄キの表情が、いつもと違っている事に。
「あ・・・このみ、お帰り」
兄キの後ろにはお母さんがいた。
慌てて、いつもの調子に取り繕ってはいたけれど、何かどこかぎこちない。
部屋を飛び出した兄キの事を、急いでお母さんが止めに来た。そんな感じ。
「何か・・・あったの？」
2人の顔を見比べながら、おそるおそる私は訊いた。
この2人がケンカするなんて滅多に、ううん。全然ない事なんだけど・・・
その貴重な場面に、たまたま居合わせちゃったのかも知れない。
「あ・・・あのね、このみ」
お母さんが何か言いかけた。
でも、それを遮るように兄キが不意に私を見た。
その目を見た時、びくりとした。
・・・この人のこんな恐い顔――
私、知らない。
これがあの・・・
いつもの拓兄キなの・・・？
思わず、一歩後ずさる。
兄キはいきなり、そんな私の腕を捕まえた。
痛い位の強い力。
お母さんが慌ててそれを止めようとした。
「このみも、連れてく」
感情を押し殺した声で兄キが言う。
「拓・・・」
「こいつだってもう高３なんだぜ。いつまでも知らないでいていい事じゃない」
「・・・でもね」
「自分で判断させればいい。どっちの言い分が正しいか。浩平の代わりに」
「・・・」
お母さんの目が私を見た。
・・・
何が何だか判らない。浩平の代わりって・・・？言い分って・・・？
「お・・・お兄ちゃん」
「いいか、このみ」
真剣に、兄キの声が私を呼んだ。
「お前は浩平の代わりに一緒に来るんだ。来て・・・考えろ。おれと、あいつと、どっちの言うことが正しいか」
「拓・・・！」
「お前は浩平の代わりなんだ。もしも、ここに浩平がいたら何て言ったか、お前自身が考えるんだぞ」
「浩平の・・・代わりに？」
兄キは黙ってうなずいた。
まっすぐな瞳は、まばたきもせずに私の事を見据えてた。
息が詰まる。
ただ事じゃない。何か・・・大変な事が、これから起きようとしてる。その事だけははっきり判った。
「どうしたの？何なの？浩平が・・・どうかしたの？」
・・・
「智のためだ」
「えっ・・・？」
「これから聞くことは、お前や・・・浩平にとっては辛い思い出になるかも知れない。でも、これは智のためなんだ」
「・・・」
「頼む。力を、貸してくれ」
・・・
兄キの目元に、一瞬苦しそうな影が走った。
何が何だか判らない。でもこの人は・・・
お兄ちゃんは、何かに必死になっていて・・・
それは、私が一緒に行かないと始まらない事で・・・
お母さんは、尚も何か言おうとしたけれどあきらめたみたいにうつむいた。
お母さんも・・・何だかとっても辛そうだった。
・・・
拓兄キに連れて行かれた場所は、浩平んちの前だった。
・・・ドアの前で、兄キはつかんでた手を離してくれた。
「・・・ごめん。痛かったか」
「ううん・・・」
兄キは、そこで初めて微笑んだ。
「その様子だと、いい旅行が出来たみたいだな」
「一体・・・何なの？お兄ちゃん、何をしようとしているの？」
「・・・」
答えずに、兄キは正面のドアを見据えた。
そのまま黙って、浩平んちのインターホンに向かって手を伸ばす。
「はーい」
インターホン越しに祥子おばちゃんの声がする。
私は思わず、兄キの横顔を見上げた。
『これから聞くことは、お前や・・・浩平にとっては辛い思い出になるかも知れない』
・・・
これから聞くこと、って・・・
祥子おばちゃんと関係あるの？
浩平とも・・・智兄ちゃんとも・・・？
『おふくろの奴、何か知ってると思うんだ。智兄のこと』
・・・
そう言えば、浩平もそんな風に言っていたっけ。
『何かもっと・・・よくわからないけど、とにかくおれらがまだ知らない事をきっと知ってる』
・・・
『おふくろ、びっくりしてた。どうして今更、ってカンジだったぜ。ムリもないけどな。四年もたつのに』
・・・
四年もたつのに。
どうして、今更。
・・・
ドアが開いた。
「あら・・・」
いつもと何も変わらない。
Tシャツにジーンズ姿の祥子おばちゃんがそこにいた。
ぺこり、と私は頭を下げた。
・・・大丈夫。心配する事なんかない。何も心配する事なんか・・・
祥子おばちゃんは、兄キを見ていた。
ちょっと・・・びっくりした風だったけど、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「・・・どうしたの？珍しいこと、2人揃って」
人なつっこい、人をほっとさせるおばちゃんの笑顔。
でもそれにも答えずに、開口一番。兄キは無造作に切り出した。
「おばちゃん、再婚するんだって？」
おばちゃんは、言葉を飲んで兄キを見つめた。
・・・
＜第二章 了＞
・・・To Be Continued.
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phot by noah of "Dayfly City".