syncro2-8

「雅巳。今日はありがとな」
ベッドに腰を下ろした雅巳は、えっ？ってカオしておれを見た。
「『もう一度しっかり言ってあげた方がいいよ』って、お前言ってくれたじゃん。よかったよ。このみのヤツ、ずいぶん安心したみたいだった」
食堂から上がって来る時に買ってきた、アイスコーヒーを一口飲んだ。

「前に、ここに来る事話した時は、あいつ何にも反対しなかった。ふうん、そう・・・ってカンジでさ、こっちが拍子抜けする位簡単だったんだ。だから、あいつがあんなに不安を感じているなんて、全然考えてもいなかった。少しくらい離れてたって、何せ長い付き合いだし・・・大丈夫だって思ってた」
雅巳は笑った。
「少しじゃないよ。新幹線で三時間、往復半日の距離なんだよ。それまで毎日会えたんだもの、もしもほんとに平気だったら、そっちの方が信じらんないよ」
「でもさ・・・ちゃんとコクって来たんだぜ。一応」
「何回？」
「・・・は？」
「１８年も一緒にいたんでしょ？一体どれだけしっかり伝えてきたのさ、自分の気持ち」
「・・・」
雅巳は、くすりとした。
「森山君らしいよ」

――んなコト言ったって・・・
気がついた時から近くにいたんだ。
男とか女とか・・・
好きだ嫌いだも意識しないうちから、ずっと一緒だったんだ。
そんなもの、わざわざ言葉になんかしなくったって判りそうなもんじゃんか。

「いくら顔を合わせてたって人の気持ちなんか変わるんだから。自分の気持ちくらい、しっかり伝えてあげないとね」
「・・・雅巳、お前さあ」
「何？」
いつもほんわかしたカオをして、女のコと付き合った事なんてあんのかよ、ってカンジのこいつが、妙にきっぱり、もっともらしく言ってくるもんだから、少々ムッとして言ってみた。
「松山のこと、もしかしてタイプだったりする訳？」
「なっ・・・何でっ？！」
「今日、仲良さそうだったじゃん。あいつ彼氏いるんだってよ、東京に」
「知ってるよ。本人がそう言ってたもの」
「・・・何だ。知ってんのか・・・」
「すごくいい子だな、とは思うけど・・・」
「・・・あ。そっか、お前」
「・・・何？」
「さっきから他人事だと思ってずけずけ言ってくれたけど、お前肝心の自分の方はどうなんだよ」
「なっ・・・何さ、自分の事って」
「千晶だろ。榎本千晶」
雅巳は耳の先まで真っ赤になった。

「なっ・・・何言ってんの！」
「あははっ♪図星かよ」
「森山君っ！」
「照れるなって。そういや、何でも世話焼きたがるところが松山とそっくりだもんな。『人の気持ちは変わる』んだろ？さっさと告白しちゃった方がいいんじゃないのか？」
雅巳は、うらめしそうにおれを見た。
おれを言い負かそうだなんて十年早いんだっつーの。

「いつから好きだったんだよ」
「・・・一目ボレなんだ。中学の入学式の時に」
「へー。六年間！」
「しーっ！」
雅巳は慌てて、人差し指を口元に当てた。
「彼女、けっこうモテるんだよ。先輩とかも何人もアタックしてて・・・中には、つきあった人もいたみたいだけど、すぐダメになっちゃって。僕、彼女は森山君の事が好きなんじゃないかって思ってた」
「え・・・？」
「森山君は、今まで彼女にアタックした先輩達とは全然タイプが違うと思ったし・・・見ててこう・・・彼女と対等に話してる気がするし・・・」
「対等も何も・・・タメ歳じゃん」
「そうだけど・・・彼女、性格もあの調子だし、誰に対してもストレートに思ったこと言っちゃうから、男子からも女子からもちょっとケーエンされてるんだよね。女子の先輩達の中にも敵多かったし」
・・・

だろーな。
人の立場もおかまいなしに一方的にコクってきて、強引にキスまでするなんて、このおれでさえ（あんまり女子の性格のこと、とやかく言える立場じゃないケド）、どーいう女だって思ったくらいなんだから。

「それでもいい、って思う物好きもいる、と」
「そりゃあこのみちゃんに比べたら、僕もそうだと思うよ」
雅巳は、ひざの上で頬杖をつくと、はあっ、と息を吐き出した。
「森山君は彼女の事、どう思ってる？」
「ばーか」
「そうじゃなくって、やっぱり・・・やな女だって思ってる？」
「だったらなんだよ」
「いや・・・だとしたら彼女、気の毒かなって思って」

・・・
雅巳には悪いけど、そもそもあいつはそんなタマじゃねーって。
今度はこっちがため息をつく番だ。

「カンケーねーよ。いいじゃん、一人でも自分のこと好きだって思ってくれてるやつがいるんだから。それもこんな近くにさ」
「・・・そうかな」
「打ち明けちゃえよ。当たって砕けろ、だ」
「・・・砕けちゃ困るんだけど」
「あいつ、おれ達と同じ大学に推薦とれた、って言ってた。そうなれば来年また一緒だし、時間はたっぷりあるぜ」
「彼女といつそんな話を？」
「え・・・？ああ、こないだ。ちょっとな」
・・・さすがに千晶から一方的にコクられた、おまけにキスされた、なんて事までは言えなかった。
「そっか・・・榎本さん、進学するんだ」
「よかったな」
雅巳は笑ってうなずいた。

・・・
こいつの言うとおり、言葉にする事がどれだけ大きな効き目を持つかは、よく判った。
今この時と比べたら、たとえ何年付き合っていようと、それまでの仲がどうだろうと関係ない。今の思いを、ちゃんと相手に向けて伝えることが大切なんだ。
『おれがお前を守るから』
そのために――今よりもっと強くなるから。

おれは勝ちたい。
もっともっと速くなりたい。
おれが自分の目標のためにがんばる事で、このみにそれが伝わる事で、あいつが安心出来るならそれが一番いいと思う。
もうあんな、哀しい思いはさせたくないから。
・・・

今でも――。
あの日の出来事は、妙にはっきり覚えてる。
大阪行きの飛行機が、離陸後まもなく消息不明になったっていうニュース速報の白い文字。
そして・・・
耳が痛くなるほどに降り注いでいた蝉の声――。

臨時の遺体安置所は、麓の小学校の体育館だった。
シートが敷かれたその上に500余人の遺体が並んでた。
むせ返るほどの線香は、見るカゲもない遺体の匂いを消すためだって、傍を通った誰かが言った。
智兄も、親父も、生前の面影なんてもんは何一つ見事に残ってなくて（智兄の場合は奇跡的に焼け残ってた腕時計。親父の場合はポケットに入ってた鍵の束だけが"証拠"だった。）、おふくろが止めるのも聞かないで、おれも確認に立ち会ったんだ。
ただの・・・
真っ黒いだけの"それ"は、おれの知ってる智兄や親父の体より、うんと小さくなっていた。
たぶん尾根にぶつかって、一瞬にして炎が出たんだろう、って事だから、熱いとか、痛いとか感じるヒマもなかったろう、って係の誰かが言っていた。
その証拠に、遺体の気管支の中には熱い煙を吸い込んで焼けただれた様な痕はなかったって。
それは、体が炎に捲かれた時にはすでに呼吸をしていなかったって事らしく・・・

さすがに、このみには話せなかった。
拓さんは、おじちゃん達の反対を押し切っておれ達と一緒にここまで来て、遺体を確認した。
誰も、何の言葉も出なかった。
隣では、泣き伏してる人もいたけれど、おれとおふくろと拓さんは何の言葉も出ないまま、黙ってそこに立ちすくんでた。
・・・

さよならなんて言えなかった。
だって、おれ達何の話もしていない。
いつもと同じに朝メシ食って、いつもと同じに話して、何もかもがいつもと同じに・・・。
葬式が済もうが、三回忌が終わろうが知ったこっちゃない。
智兄はいない。親父もいない。どこへ行こうが会えるわけない。
でも・・・どこか割り切れない。
今に帰って来るんじゃないかって。
特に親父なんて、家にいることの方が珍しかったような人だから、死んだんだって事なんか、兄貴以上に実感なくて・・・
浩平、って呼ぶ声を何度も聞いた。
空耳じゃなく・・・
何回も。
おれは兄貴が、おれを呼ぶ声を確かに聞いた。

それでも、本当に死んじまったんだなって何となく感じだしたのは、拓さんの卒業の頃だった。
いつも・・・いつでも・・・あの人の隣には兄貴がいた。
小学校、中学校。入学式も卒業式も、いつも2人並んでそこにいた。
卒業式の後、拓さんが智兄の卒業証書を持って来てくれた。
「本当なら中退なんだって。単位足りなかったらしいけど・・・死人に規則は関係ねーだろ、って散々かけ合ってぶんどって来たんだ」
あの智兄が高校中退なんて、確かに絶対似合わないよな、って2人で笑った。
本当なら・・・ここにいる筈だったんだ。
今でもここに・・・おれの兄貴としている筈だった。
・・・

「・・・森山君？」
雅巳の声にはっとした。
「・・・大丈夫？顔色、悪いけど」
「・・・あ？ああ・・・大丈夫」
「急に黙っちゃうから・・・」
「・・・悪い。ちょっとな。昔の事思い出したんだ」
「・・・ごめん。僕、ヘンな事言ったかな・・・」
「ばーか。お前のせいじゃねーよ。時々あるんだ、こーいうの」
「・・・」
「何でもないって。気にすんな」
・・・

――
こっちに来てから、あの時の事を思い出す事なんてなかったのに。
突然何の前触れもなく、あの事故の記憶がよみがえる。
まるで今、目の前でそれを見てるみたいに、ひどくリアルにはっきりと。
真っ黒に炭化した手首らしき所に、やっぱり黒いススだらけのムーンフェイズの腕時計・・・
それは、智兄の誕生日に拓さんがあげたんだ。
・・・でも、たまたまおんなじ時計をしていた誰かが事故にあったのかも知れない。
いや・・・だとしたら・・・
どうして・・・2人は帰ってこない？
四年も経つのに・・・どうしてここに戻って来ない？

・・・
本当は・・・おれに・・・言いたい事があったんだろ？
もっと何か・・・
話しておきたい事があったんだろ？
兄貴として、長男として、あんなにしっかり、いつもおれを守ってくれた・・・でも、本当はもっと違う、別の智兄もいたんだろ？

・・・
急に胸がムカムカして来た。
むせ返る線香の匂い。
肉が焦げ、髪が燃えた後の匂い、ひどい暑さ、蝉の声・・・

その直後、おれはトイレで思いっきり吐いた。
こんな事・・・本当に久しぶりだった。
この二年、ずっとなかった事なのに。
おろおろ慌てて寮長を呼びに行こうとしてる雅巳をどうにか止めながら、得体の知れない嫌な予感を押し殺してた。
それが一体何なのか・・・
その時は知るはずもなかったけれど。
・・・

・・・To Be Continued.

　　