syncro4-10

――――
部屋に戻って来た浩平は、ルームメイトの萩原君に改めて私のコトを紹介し・・・
ホテルに送りがてら散歩に誘った。
もちろん、萩原君も一緒に。

・・・夕焼けが、辺りを薄く染め始めてた。
紅い雲のグラデーション。
ヒグラシの声が聞こえてくる。
・・・懐かしい――
どこか悲しいその羽音。
昼間の熱気をはらんだ風が吹き抜けて、足下の芝を揺すってく。

寄り道の小さな公園で、私はそっと・・・浩平の顔を盗み見た。

目標にして来たインターハイ。
そのためにこいつは転校までして・・・
あれだけイヤがっていた特待生にもなって・・・
がんばって来た筈だったのに・・・。
――それが、どうしてこんな事に・・・。

今日、陸上部の監督さんと話した事・・・
自分の思い・・・
浩平は私に話してくれた。
でもそれを、ああそう、って簡単に聞き入れられる筈はなかったし・・・
だからってそんな浩平に面と向かって、『現実を見ろ』なんてコト、言える筈もなかったし・・・

『あの時おれの頭には、インターハイの"イ"の字もなかった』。
浩平は言った。
そのコトに監督さんやコーチと話して気がついた時、自分にとっての走るコト――
ここにいるコトの重さが判った気がした、って。

自分の中を占めていた智兄ちゃんの存在の大きさ。
ずっと目標にして来た筈の、"インターハイ"という現実さえもあっさり乗り越えてしまうほど――
智兄ちゃんに守られてた自分。
会えなくなって初めて判る"兄貴"の強さ。その弱さ――。

「このみちゃん。何か冷たいものでも飲む？」
萩原君が穏やかに笑う。
こんな状況だからこそ・・・この人のこういう空気には、すごく救われるような気がする。

「冷たいもの、って・・・そんな気の利いたもん、この公園にあったかよ」
「ないよ。だから、僕買って来る。森山君は？何がいい？」
浩平は、心底呆れたという顔で萩原君の頭を軽くはたいた。
「ヘンな気ぃ廻すなっての。・・・いいよ、そんなんだったらおれが行く。このみは？コーラ以外なら何でもいいか？」
「あ・・・うん」
「へえ・・・このみちゃん、コーラ嫌いなんだ？」
「味覚が子供(ガキ)なんだよ。・・・雅巳は？ポカリ？」
「うん。お金、渡すよ」
「いい。今日はオゴっとく」
言うが早いか、浩平は素早く立ち上がる。
通り向こうに自動販売機が立っている。そこへ出かけるつもりだろう。

――今日はオゴっとく。
・・・か。

浩平なりに、萩原君に悪いと思っているんだな・・・。

インターハイで浩平は、100m×4人のリレーにだけは出場させてもらえるコトになっていた。
今日の調子はどうだったろう・・・。
聞かなくても予想はついた。
心に迷いをひきずったまま、あいつに納得の行く走りが出来るワケない。
浩平の走りは「感覚的」だ。
萩原君みたいに、しっかりとした理屈があって、基本を押さえてのものじゃない。
モノになるかならないか。
どこまで伸びるか伸びないか。
それは未知数――。
そんな浩平にスカウトの声をかけた人たちだって、"賭け"みたいな部分も相当に大きかったんじゃないかと思う。

「・・・」
・・・萩原君と二人。
繋ぐ言葉が見つからなくて、どちらからともなく黙ってしまう。

でも・・・思うのはきっと同じコト。
このままじゃ、浩平は陸上を辞めてしまうかも知れない。
何とかしたいとは思う。
でも、何をしたらいいのか判らない。
このままじゃいけないとは思っても――
どうしたらいいのか判らない・・・。

「僕もさ、デキのいい兄貴がいるから・・・何となく判るんだ。森山君の気持ち」
萩原君が言った。
「ここに来たのも、自分で選んだとかそういうんじゃなくって・・・兄弟はみんなここの出身だったし・・・来るのが当たり前ってカンジでさ。だから・・・森山君と初めて出会った時は、正直言ってびっくりしたんだ。『記録なんてカンケーない』って、監督やコーチの前で断言しちゃうんだもん。ほんと。あんなの初めてだったよ」
萩原君は、その時のコトを思い出したのか楽しそうに笑って見せた。

「僕は・・・そのためだけに走って来たから。兄さん達にも追いつきたかったし、いつかは絶対追い越したかったし。そのためには記録を出すしかなかったんだ。陸上って、そういうものなんだって、全然疑ってもみなくてさ。もしも彼と会えなかったら、僕は走るコトの楽しさとか・・・自分が納得出来る勝負をするとか・・・知らないままでいたんだろうな。僕だけじゃない。森山君が来てから、部の空気が変わったんだ。世の中には、こんな走り方をするヤツがいるんだな、って・・・」
「・・・」
「だけど――森山君にとっては、そうじゃなかった」
「・・・」
「これだけの実力者がいるのにね・・・。将来は、世界を舞台に勝負したいって思ってるようなスプリンターが何人もいるのに――そんなの、彼にはどうでもよくて・・・僕の記録を破った時も、森山君が見ていたのは僕じゃない。死んだお兄さんの存在だった」
「・・・」
「それが――ちょっと悔しいかな」
萩原君は、ぽつりと言った。

今は・・・いない智兄ちゃん。
でもその存在は確実に、私たちの中に生きている。
ここに今ある誰よりも、確実に――私たちの中によみがえる。

私も浩平も・・・そして、拓兄も――
それが唯一の拠り所だった。
楽しかったあの時。
二度と戻れないあの日。
いつまでも心の中に思い出として残すコト。
それが大切なんだって信じてた。

でも、それは・・・時として"今"を見えなくさせる。
お兄ちゃんと、冴子さんの時もそうだった。
浩平は・・・間違いなく今ここで、必要とされてる存在なんだ。
思い出の中じゃない、この場所で――
求められてる存在なんだ。

「・・・私――」
萩原君に向かって言いかける。

もしも・・・
もしもこのまま浩平が、走るのをあきらめてしまったら――
当然ここにはいられない。
特待生として編入した以上は、たぶん除籍。
そしたらあいつは、また私たちのとこに帰ってくれる。
心の何処かで・・・
それを望んでいないと言えばウソになる。
だけど・・・

「おまたせ」
浩平が戻ってきた。
両手に抱えてる二本のポカリとジンジャーエール。
そのひとつを萩原君に手渡した時、思い切って私は言った。

「ねえ・・・浩平」
「ああ？」
「もう一度・・・監督さんに頼んでみない？インターハイ、出場させてほしいって」
浩平の――
萩原君の目が――驚いたように私を見た。

「だって――ここで諦めてしまったら、何のために来たのか判らなくなっちゃうじゃん」
「・・・」
「智兄ちゃんのためじゃない、ここでがんばるって決めた自分のためにも、これじゃあんまりだって思わない？あんたを送り出してくれたみんなだって、絶対納得出来ないよ」
「・・・冗談だろ」
一瞬めんくらってはいたけれど、言下に浩平は言い切った。

「もう決まったコトなんだよ。今更おれが頼んだ所でひっくり返せるワケない・・・」
「いや。判らないよ、そんなコト」
隣から萩原君も言ってくれた。
「こうなったら・・・理屈じゃないよ。何が何でも出たいって気持ちを直接ぶつけるのが一番かも知れない。だって森山君の実力は、監督とコーチが誰よりよく知ってるんだし・・・」
「おれの実力・・・？」
浩平は笑った。

「・・・見ただろ？今日の練習。あと三日だっていうのにあのザマなんだぜ。相模高校陸上部員が聞いて呆れるよ」
「あんなの、君の実力じゃないだろ。第一、今日は全然練習に集中してなかったじゃん」
「・・・」
「試されてるのかも知れないよ。ほんとの気持ちを知りたいのは、監督達だって同じなんだよ。森山君が言ってくるのを、実は待っているのかも知れないよ」
「・・・ばーか。何処までおめでたいんだよ、お前はよ」
私はむっとして、浩平の顔を睨み付けた。

「あんたね！インターハイ出たいの？出たくないの？！」
「出たくないワケないだろ？！おれだって出たいさ！出られるもんならな！でもムリなんだ！仕方ないだろっ！」
「やってもいないうちからムリだって、どうしてそんなの判るのよ！」
「お前はあの監督を知らねーから、そんな簡単に言えんだよ！」
「・・・」
「あの人が『出さない』って言ったら絶対なんだ。今までだってそうだった。だからおれも雅巳も、メンバーが決定するまでは必死になって・・・！」
――

言いかけて、浩平は言葉を飲んだ。

必死になって――。

何を何処まで必死になって？
あの時は・・・自分が選手に選ばれないかもなんて、考えたコトは一度もなかった。
自信があった。
勝てる自信。選ばれる自信。
目標のために、こんなとこで凹んでる場合じゃないって思い。
必死だった。
自分は確かに。
でもそれは何に対して・・・？
何に向かって・・・？

尚も言い返そうとして――萩原君が私を止めた。
これ以上二人で突っついても逆効果だって思ったんだろう。
「・・・」
浩平は黙ってジンジャーエールの缶を私に向けて押しつけた。
・・・

＜第四章　了＞

・・・To be continued.

　　　　　　　　