syncro4-9

「・・・えっ？」

おれは、まじまじと監督の顔を見直した。
隣には浅岡さんもいて・・・黙っておれを見つめてる。
監督の声が、いつになく厳しく後に続いた。

「今年のインターハイへは、君は出場させないと言ったんだ」
「・・・」
「・・・ただし400mリレーを除いて、だ。何しろ本番は三日後だし、今からメンバー変更する事はチームにとって必ずしも得策とは思えない。君一人のために、他のみんなにまで余計な負担をかけてしまう。だから、リレーにだけは予定通り君を出す。けれど他は全て、君には控えにまわってもらう」
「なっ・・・何でですかっ！？」
勢い込んでおれは言った。

「だって――！約束通り帰って来たじゃないですか！たった一日無断で寮を出ただけで・・・！それで出場させないなんて・・・！」
「入学の時に話した筈だ。・・・なあ、森山。君は何をするためにここにいるんだ？」
「え・・・っ」
「寮に入って、朝から晩まで陸上の事だけ考えて。それは君が望んだ事ではないのか。だから途中入学というリスクを覚悟でここへ来た。違うのか？」
「・・・」
「君にすればたったの一日。それも理由があっての事だと言う。だとしたら、何故私たちに相談しなかった？どんな理由があるにしろ、君がした事は"無断外泊"だ。違うかな・・・？」
「・・・」
「確かに、ここの"やり方"として、行動は全て君たちの自主性に任せてる。けれど、それは責任があっての自由だ。好きな時に好きな事をやっていいという訳じゃない」
「森山」
浅岡さんが隣から言った。

「考えてみてほしい。ここでお前を欠場させるのが、チームにとってどういう事か。お前にとっては個人的な事でも、結果はそうじゃない。何のために監督が東京まで何度も何度も足を運んで、お前をスカウトしに行ったと思ってる・・・？」
「・・・」
「俺たちは、親御さんから君をお預かりしている立場だ。もしも・・・ここが学校でなかったら――ヘンな例えになってしまうが・・・実力だけでお前たちをここにおいている、そういう場所なんだとしたら――わざわざこんな処分をしたりしない。お前がいればチームにとって有益なのは、監督が一番よく判ってる」
「・・・」

・・・頭の中は、思ったよりも冷静で――
監督の話も、浅岡さんの言ってる言葉のイミも、妙に静かに受け入れられた。

確かに。
何のためにここに来た・・・？
そう言われても仕方がない。
事実あの時、おれの頭にはインターハイの"イ"の字もなかった。
無断で家に帰るって事が一体何を意味するかだなんて、全然考えてもいなかった。

『お前には、お前の意志で、ここで走っていてもらいたいんだよ』

前に・・・浅岡さんに言われた言葉の意味が、その時初めて理解できた。
コーチには・・・判ってたんだ。
おれが何のためにここに来たのか。
おれが誰に勝ちたくて、ここで走ろうとしてたのか。

そっか。
だから・・・
おれの相手は自分じゃないから、だから記録が気にならなかったんだ。
高校新の記録を出しても、雅巳の喜ぶ顔を見ても、全然ピンと来なかった。
そのワケが・・・判った。
・・・

「浅岡さん・・・おれ――」

そう思ったら――急に不安になって来た。
おれは何のために――
何を相手に走ればいいんだ？
智兄が望んでたもの。
まるで・・・風の中のろうそくみたいに、小さな掌でまるく囲って・・・
必死になって守って来たもの。
それが壊れてしまった今、おれは何を守ればいい・・・？

浅岡さんは、うん・・・と小さくうなずいた。
「ゆっくりでいい。もう一度・・・考えてみるんだな。今度のインターハイは俺達にとっては通過点の一つに過ぎない。お前はどうしたい？ここで引き返すのか、一緒に先へ進むのか」
「・・・」
「午後の予定は萩原に伝えてある。寮に戻って支度しなさい」
監督の声に促されるようにして・・・おれは部室を後にした。
・・・

雅巳と千晶は、そのまま校門の前で待ってくれていた。
戻って来たおれの顔を見て、二人はおれが監督に何を言われて来たのか、ぴんと察したようだった。
「大体あんたは甘いのよっ！」
開口一番。千晶の言葉が容赦なく耳元に突き刺さる。

「来た時に散々言われたでしょ？『勝ちたい人には、ここはこの上ない最適な環境だからね』って。『インターハイで勝つために来た』なんて言いながら、全然逆のコトやってどうすんのよっ！」
「・・・」
雅巳は、黙っておれを見た。
「・・・悪い」
おれは二人に謝った。
千晶が驚いて口をつぐむ。
おれが自分からこいつらに――少なくとも千晶に向かって――謝ったのは、これが初めてだっただろう。

「監督には・・・謝った？」
「一応な。でも全然ダメだった。相当怒らせちゃったらしい」
「二人とも・・・森山君にはほんとに期待していたからね」
「持て余してた、の間違いじゃねーの？」
「そんなんじゃないよ」
珍しく雅巳は強く言い切る。

ここへ来て・・・一番最初に知り合ったヤツ。
のほほんとしたその空気に乗せられて、つい色々としゃべっちまって・・・
こんな中途半端な時期に、おれがここに転校して来た理由とか・・・
このみのコトとか・・・
向こうの学校にいた時でさえ、他人にここまで自分を話せたヤツはなかった。
自主トレだって何だって、一生懸命おれにつき合ってくれていた。
それだけに・・・
こんな形で、おれのインターハイへの欠場が決まってしまって・・・
納得出来ない強い思いは、きっとこいつにもあったと思う。

でも。

それでも――おれは・・・。

「雅巳」
「え・・・？」
「おれは後悔してないよ」
「・・・」
「お陰で知るコトが出来たんだ。兄貴のコトも。自分の知らなかった家族のコトも」
「・・・」
「気がついた時は新幹線に乗っててさ・・・後がどうなるかなんて、考えてる余裕も全然なくて・・・少なくともあの時、おれには確かにインターハイなんかより・・・ずっとそっちの方が大切だった。浅岡さんにも『ゆっくり考えろ』って言われたよ。先へ進むかどうするか。兄貴に勝ちたい、追いつきたい、それだけでここまで来てさ・・・だけどそういうの、もう考えなくていいんだよな。ここからは・・・おれはおれのやり方で進んでかなきゃいけないんだ」
「・・・」
雅巳は、千晶と顔を見合わせた。
「森山君・・・」

・・・そう。
おれはおれのやり方で、"それ"を考えて行かなきゃいけない・・・。
それは、ここにいるコトにこだわらなくてもいいってコトだ。
兄貴に勝つとか・・・
そういうコトはもう何も、考える必要はないってコトだ。
あいつは・・・
智兄は、おれなんかの全然知らないとこで闘っていた。
おれが陸上なんかをやってる間も、あいつはずっと心の中に、一生懸命真実(ほんと)をしまって・・・。

「ちょっと！あんたまさか、バカなコト考えてんじゃないでしょうねっ！」
「・・・バカなコト？」
「走るのをやめようなんて考えてるんじゃないでしょうねっ！」
「・・・」
千晶の顔は必死で真剣だ。
おれの答えによっては、間髪入れずひっぱたかれるんじゃないかってくらいのすごい勢い。
・・・

――――
「前に・・・お前、言ってたじゃん。『記録にこだわらないスプリンターなんて初めてみた』って。あの時は・・・その言葉の意味が判らなかった。お前らこそ記録記録って、何がそんなに大切なんだ？って思ったよ――。でも・・・今なら判る。おれは・・・おれの走る目標は、そんなコトじゃなくってさ・・・智兄に、認めてもらうコトだったんだ」
「・・・」
「今でもはっきり覚えてる。おれが陸上始めたきっかけは兄貴の言葉。これならあいつに勝てるかも、って・・・そう思った。兄貴に・・・いや、兄貴だけじゃない、周りのみんなに、これならおれを認めさせてやれるかもって、そう思ったからなんだ」
「・・・森山君」
「・・・コーチの言う通りだ。おれは、おれのためじゃない。智兄だ。兄貴に勝ちたくて・・・越えたくて、ただそれだけのためにここに来た。・・・それが今、判ったんだ」

「――それが何だってのよ！」
千晶は言った。
「今までと何が違うっていうの？そうやって来たんなら、これからもそうやってけばいいじゃない。それだけの事でしょ？！手が届きそうなとこまで来たんなら、届くまでがんはればいいじゃない！」
「届くも何も・・・おれは兄貴には――相手にもされてなかったんだぜ？」
「・・・」
「・・・少しは、あいつの背中に手が届くんじゃないかって、必死のつもりだったけど・・・そうじゃなかった。兄貴には、おれなんか見えてなかったし・・・そんな事より、守らなきゃいけないものがあったんだ。おれもその中に入ってて・・・おれも兄貴に守られて――勝ちたくて、ずっと必死にやって来て――だけどそういう相手にさ、おれも守られていたんだぜ。最初から手のひらの上に乗せられて、いい気になってただけなんだ」
・・・

「――要するに自信喪失ってコト？」
「・・・」
「勝ちたい、勝てる、と思った相手が自分より全然強かった。つまりはそういう話でしょ？」
「・・・」
「しっかりしなさいよ！相手が強ければ強いほど楽しめるなんて言ってたのは誰だった？！これからだって、もっともっと強い相手がいるんだよ！ここでこんなコト言っててどうすんのよ！」
「――目標が・・・」
息巻く千晶に、雅巳が言った。
自分の考えを整理しながら、ゆっくりゆっくり言葉を繋ぐ。

「――目標が、見えなくなってしまったんだね」
おれは、雅巳の顔を見た。
「ずっと目指して・・・灯台の明かりみたいに、ずっと目指して来たものが、実はもっと遠くにあって・・・ずっとずっと遠くにあって・・・」
「雅巳・・・」
「判るよ。森山君のその気持ち。何となく・・・判るような気がするよ」
「・・・」
「僕もそういう時があったから。自分のやってるコトなんか、みんなとっくに、当たり前のように通り過ぎて来た結果でさ。いくらやっても・・・こんなに自分はがんばってるのに、やれて当たり前。出来なければそれこそ、ここの家の人間じゃないみたいに言われてたコト、僕にも・・・あったし。だけど――」
「萩原君は黙っててっ！」
千晶が叫んだ。

「辞めるなんて許さないからねっ！ここまで来たのに――あと少しでインターハイなのに。・・・冗談じゃないわよ！」
「・・・榎本」
「あんたは何にも判ってない！それだけ走れて――記録だって残せるコトが、どれだけすごいかも知らないくせに・・・だから無責任になれるのよっ！」
「・・・」
「あんたのせいで、今年のインハイをあきらめた人だっているんだからねっ！何て言い訳する気なの！？」

無責任、か・・・。
確かにそうかも知れない。
自分のいる場所。
何をしに・・・自分がここにいるかというコト。
それを、おれは全然理解してはいなかった。

インターハイで勝つコトが、一体どれほどのイミを持つ・・・？
おれがいるのも――
ここにこうしていられるのも――
みんな智兄のお陰じゃないか。
自分で選んで、自分で決めて、ここにいるんだと思ってた。
だけど――そうじゃない。
あいつが・・・おれを守ったからだ。
――――

・・・To be continued.

　　　　　