syncro2-3

放課後の調理実習室。
オーブンの中でふくらみ始めたシュー皮を、ずーっと恭子ちゃんは見つめてた。

「わー、いい香り♪」
お菓子作り初心者の彼女は、クラブの度に新しい感動と出会えるみたい。
そんな恭子ちゃんの反応に、同級生の友貴君はうんざり顔で言葉を投げる。
「どーでもいいけどこっちへ来てくんない？カスタードクリーム作ってるんだけど」
「はーい」

家がケーキ屋さんの友貴君には、恭子ちゃんのそーいうとこが判らない。
そうなるように材料を混ぜてるんだから、当たり前のことなのに、どうしていちいち驚くかな、って。

「ふしぎー。どうして卵まぜただけなのに、そんなんなっちゃうの？」
「・・・もう聞き飽きたよ、その台詞」
友貴君は心底あきれて言うけれど、私は、恭子ちゃんの素直な反応が好き。
お菓子って・・・
何回同じ物を作ってもドキドキする。
ちょっとした材料の加減で色々変わるし、予想外のおいしさだって教えてくれる。
お店に並ぶプロの味も好きだけど、私はHome Maidのそんなあいまいさが好きなんだ。
いつでもおいしい、いつでも満足できるお菓子ならお店の物で十分なのに、敢えてHome Maidにこだわるのは、そんなあいまいさを楽しみたいから。

友貴君は、行く行くはお父さんのお店を継がなきゃならない。
その日のために、自分だけのオリジナルケーキを作りたくってがんばっている。
だから、とーぜん私や恭子ちゃんなんかとは、お菓子作りに注ぐ意欲からして違ってる。
なのに、どうしてこんなお遊びの"お菓子同好会（・・・にもなっちゃいない）"に熱心に参加してくれるのか、私にはよく判らない。
もちろん、大歓迎ではあるんだけれど、もう少し恭子ちゃんに合わせてくれるといいのにな・・・

「先輩。何作ってんの？」
「ああ、これ？チョコレートソースだよ。せっかくだからエクレアでも作ろうかなって」
「でも、皮の材料全部シュークリームで使っちゃいましたよ」
「うん。だからね、シュークリームの上にチョコをコーティングするの。エクレア風、みたいなシュークリーム」
「わー、おいしそう！！」
恭子ちゃんが目を輝かせる。
「この間友貴君が見つけてきてくれたチョコレートソースもまだあるし・・・いいよね？」
「大丈夫よ、先輩。会田君が、このみ先輩に反対したことなんかないんだもん」
「うるさいよ、佐々木は。いいから作り方よっく覚えておけよ！次からは全部一人でやってもらうからな！」
「そんなの聞いてませーん」
「今決まったんだよっ！」
「・・・うっそ。おーぼー。信じらんない」
・・・

インターハイまであと二ヶ月。
あさっての土日でまっちゃんと、浩平のとこに行く予定だった。
三村さんに『ゆっくり話してみたら？』なんて言われて、じゃあ・・・って決めたことだけど、その日が近ずくにつれて、少しずつ自信がなくなって来た。

だって、こんな風に突然会いに行ったって、あいつに歓迎されっこなかったし、今の自分の気持ちを上手に伝えられるアテもない。
じゃあ一体何しに行くのよ！なんて、まっちゃんが聞いたら怒られそうだけど、私の知らない浩平を見てみたいと思った。
浩平が、自分で選んだ自分の”居場所”を私の目で見てみたい、って。

祥子おばちゃんが言ってた通り、浩平は、陸上部の特待生として大学への推薦入学が許可された。
正確には来月の試験があるけど、それは型どおりの小論文と面接で、ほぼ入学は決まったって言ってよかった。
これで、あと四年は確実に、浩平はここへは戻って来ない。
『春になったら家出てさ、こっちに・・・来ないかって言ってんの』
浩平の、その言葉に対する返事は、まだ見つかってはいなかった。
うん、って言うにも、ううん、って言うにも何かひっかかる思いがあって迷ってた。

とりあえず・・・。
浩平が少なくてもあと四年、帰らないって決めた事を納得したかった。
うん、これなら、って・・・
仕方ないとかのあきらめじゃなく、納得して見送りたかった。
ひとつずつ心の整理して行かないと、何かまたあいつに置いて行かれちゃうような気がしたし・・・
それに、あいつの事だもん。陸上のためなら、今度は地球の裏側にでも行く、なんて言い出しかねない。
でも・・・もしも。

もしも、あいつが陸上のために、地球の裏側に行きたいって言ったとしたら？
それでも私、あいつについて行けるのかな・・・
・・・

――
「先輩」
友貴君の声で我に返った。
「え？」
湯煎にかけてたチョコレートソースを慌てて下ろす。慌てすぎて熱湯の入ったボールをガッシャーン！！床にひっくり返した。

「あつっ！」
「大丈夫ですか！？」
友貴君が素早くしぼった布巾を持って駆け寄ってくれた。
「足にかかっちゃったんじゃ・・・」
「へーきへーき。あれ？恭子ちゃんは？」
「一緒に添える紅茶を買いに行ってます。どうせ何もしてないんだし」
友貴君は床にかがんだ。
テキバキと私がこぼしたお湯を拭いてく。私も慌てて雑巾を手にした。
「ごっ・・・ごめんね！いいよ、後は私がやるから」
「いえ。あと少しですから」
2人して床にぶちまけられたお湯を拭く。
友貴君は、制服のズボンが汚れちゃうのもかまわずに、わざわざ床に膝をついて拭いてくれている。
つくづく自分が情けなくなる。

「先輩」
「ん？」
「先輩が今、何を考えていたか当ててみましょうか？」

素早く、でも丁寧に床を拭きながら友貴君が言う。
一瞬ぎくり、としながら笑って見せた。
「私ってすぐカオに出るタチらしいから」
「ほんとに」
友貴君はにこりとした。私はちょっとムッとして、
「・・・あのね。そう言うときは、仮にそう思っていても『そんな事ないですよ』って言うのが礼儀ってもんなの！」
「・・・だって、ほんとにそうなんだもの」
「言ったな、こら。じゃあ当ててみてよ、私が何を考えてたのか」
「いいですよ」
友貴君はすいっ、と顔を上げて私を見た。
まだ幼さの残る顔。
それでいて意志の強そうなまっすぐな瞳に見据えられて、小さく胸がどきん、と鳴った。

「『あー、お腹すいた。早くシュークリーム食べたいな』」
私は思わず吹き出した。
友貴君もいつもの明るい笑顔を見せてくれた。
「やっと笑った」
「・・・え？」
「笑ってほしかったんです。いつもみたいに」
・・・
雑巾を持ったまま、私は友貴君を見た。

「森山先輩のこと、ですよね」
「・・・」
「森山先輩が帰ってから、先輩いっつも何か考えてる」
「・・・そ、そうかな」
「僕じゃ駄目ですか」
「え？」
「先輩がいない間だけでも、僕じゃ駄目ですか」
・・・
友貴君の頬からいつしか笑顔が消えていた。
「なっ・・・何言ってんの、友貴君」
「先輩の一番じゃなくていいんです。森山先輩がいない間だけでも・・・僕じゃ代わりになれませんか」
・・・

えーっ！？

思いっきり叫んだつもりが言葉にならない。
咄嗟に立ち上がろうとした私の腕を、友貴君がつかまえた。
自分でも驚くくらい簡単に、私はペタンと床に座り込んでた。
「先輩達の事、聞きました。ずっと・・・昔っからの知り合いだって。でも、人を好きになるのに過ごした時間の長さなんて関係ないです」
「・・・」
「僕は・・・僕なら、先輩を一人にしたりしない。絶対に自分の夢のためだけに寂しい思いさせたりしない」
「・・・友貴君」
「先輩となら何でも出来るような気がするんです。僕の夢も・・・オリジナルケーキも、きっと一緒なら出来る気がする。ほんとに、そんな気がするんです」
・・・

言葉が出ない。
友貴君の強い気持ちがガンガン真っ正面から伝わって来る。
これがあの、向日葵みたいに微笑（わら）っていた彼と同じ人・・・？

友貴君が、ぐいっ、と腕を引っ張った。
そのままストンと抱き寄せられる。
慌てて両手を突っ張って、彼の体を押しのけた。
「わっ・・・私はそんなつもりで・・・」
「判ってます。だから、一番じゃなくてもいいって言ったじゃないですか」
再び強く抱きしめられた。
知らない香り・・・知らない感じ・・・頭の中がぐるぐる回った。
「初めて会ったときから、好きだったんです」
・・・

ちょっ、ちょっと待ってよ！！
私の気持ちは！？
自分の気持ちだけ押しつけといて、私の都合はおかまいなしなの！？
それじゃ浩平と同じじゃない！
気が付いたとき、私の平手が友貴君のほっぺたに飛んでいた。

「ばっ・・・馬鹿にしないでっ！」
友貴君の目が私を見た。
「最初から・・・一番じゃなくていいなんて、そんな告白ってないでしょ！そんなんで他人の気持ちに応えられる訳ないでしょ！」
「・・・」
「悪いけど・・・そんなの、私には出来ない」
「・・・」
「浩平がいない間だけでも、なんて・・・そんな風に誰かを好きになんてなれないよ！」
・・・

大好きなバニラの匂い。甘いチョコレートの香り。それなのに、どうして私こんな思いでここにいなくちゃならないの！？
私にスキがあったから？
浩平がいない間だけでもいいなんて・・・男のコに思わせてしまうほど？

私は部屋を飛び出した。
無性に浩平に会いたいと思った。
私を守るって言ったのに！智兄ちゃんの分も私を守るって言ったのに！
悔しい悔しい悔しい！！
そして・・・
寂しい。

これが今の私たちの距離。
会いたい時に――
一緒にいてほしい時に、あいつはいない。
判ってる・・・
そんなコトは判ってる・・・

不意に胸が苦しくなった。
友貴君の言葉がショックだったから・・・それだけじゃない。
あいつがここにいないコト。
会いたい時に、あいつがここにいないコト。
心の底から――
力いっぱい――そのコトを、思い知らされたから。
・・・

・・・To be continued.