syncro2-4

「次。400mリレー始めるぞー！」
浅岡さんの声がトラックに響く。

練習の中身も今週から、最終調整的なものに変わりつつある。
練習前の1時間のウォームアップは今まで通り、各人のメニューに沿って進められるけど、そっから後は部の首脳陣が立てた、全チーム共通の内容だ。
基本的に各々の出場する種目に沿って各コーチが割り振られ、最終チェックを行っていく。

浅岡さんは男女リレーの担当だった。
走る順番もほぼ決まったし、後は何度もみんなで走って、バトンパスのタイミング、助走区間のスピードをお互いの体に覚えさせて行く。
おれはアンカー。
雅巳からバトンを受け取ることになっている。
他にもう一人同じ三年の土屋ってヤツと、二年から一人抜擢された三浦が走る。
どいつも100m10秒代で走りきっちまう強者だ。

特に雅巳は、あんなぽやんとしたカオからは全く想像もつかないけれど、100mの高校新キロクを持っている。
それだけにどこの学校も、雅巳をどうマークするかってことが大きなポイントになる筈だ。・・・ってこれは浅岡さんからの受け売りだけど。

雅巳と同じ第三走者に各々のチームの最速ランナーをもってくるか、それとも敢えて雅巳との勝負は避けて、他の第一、第二、第四走者で賭けて来るか。
ルールでは、基本的に各チームの一番速いヤツがアンカーをやる事になっている。
けれどこれは絶対じゃない。
作戦で変えたってかまわない。でも多分どこの学校も、雅巳はアンカーだとふんで来る確率は高い（現に去年もそうだった）。

「そこで、だ」
浅岡さんは、いたずらっぽく笑って見せた。
「予選と決勝で、森山と萩原の順番を変えようと思う。もちろん1600mリレーでも同じだ」
おれと雅巳は1600のリレーにも出場するけど、あとの2人は入れ替わる。
「基本的に、誰がどの走順でもいけるようにしときたいんだ」
「正式な走順は決めないんですか」
「当日までには決めるさ。でも、出来ればなるべくギリギリまでひっぱりたい。他校の目もあるんでね」

陸上部の専用練習場。
周囲には立派な二階建ての観客席までついている。
そのあちこちにビデオカメラを構えるヤツ、何やらメモを取ってるヤツが、点々と散らばって座ってた。
雅巳に言わせると、これはもう今に始まった事じゃないんだそうだ。
「特に今年は森山君がいるからね。どこの学校も君のデータはノドから手が出るほどにほしい筈だよ」
・・・

別におれは、データ取られて困るような事もなかったけれど、それはおれが困るんじゃなく、学校として困る、って事なんだ。
おれの大学への入学がホイッと決まるようなこの世界では、おれが走るって言うことはおれ個人のためじゃなくこの陸上部、この学校の看板をしょって走るって事。
それと引き替えに、おれはここで心おきなく陸上をやっていられる。
前の学校にいた時のように、定期テストや宿題に邪魔されるなんていう事もここではない。
今のおれの走りには、既に某かの金とか・・・人の労力がかかってる。
例えおれがよくたって、学校としてはせっかく育てた大切な選手達のデータを、そうやすやすと渡したりは出来ない、っていう事になる。

確かに・・・
前はそういうのがイヤだった。
走る事を強制されてるみたいで、推薦の話はいくつかあっても、説明も聞かないで断っていた。
でも、今は違う。
おれを――
おれの力を、評価してくれている人がいる。
ここにはおれを、見ていてくれる人がいる。
・・・

「まずは土屋ー萩原ー森山ー三浦、で行ってみようか」
先週までの練習の記録が載っているデータファイルを見ながら、浅岡さんが言う。
トラックは一周400なので、おれ達は各々のバトンゾーンへと散った。
途中、隣の雅巳が足を止めた。
「どうした？」
「あれ・・・」
雅巳は、陸上部の寮を背にして並んでいる観客席の方をじっと見ていた。
「・・・女の子がいる」

・・・ったく、何を言い出すのかと思ったら。
おれはおかまいなしに歩き始めた。
「いたら何だよ。悪いのか」
「悪くないけど・・・私服、なんだよね」
「だから、私服じゃ悪いのかよ」
「だってさ・・・まだ10時だよ。普通なら授業中・・・」
「うるせーなー」
だからそれが何だって言うんだよ！
言う代わりにイライラと雅巳を振り向いた。
「どこかのマネがサボってデータ収集でもしてんだろ。それが学校の命令とあれば・・・」

その時だった。
目の端にふと、見覚えのある何かがよぎった気がした。
「ほら。あのコたち・・・こっちに向かって手、振ってない？」
雅巳がつぶやくまでもなく、おれにも判った。
ここからは、トラックをはさんで斜めに向かいあっている。キョリにして・・・300mくらいだろうか。
視力は悪い方ではないつもりだけど、思わずその目を疑った。

雅巳の言うとおり、2人の女の子が観客席に坐ってた。
一人はジーンズ、一人はスカート。そのスカートの方がこっちに向かって手を振っていた。
あれは・・・そして、隣のジーンズ姿は・・・

「・・・このみ」
思わず小さくつぶやいた。
雅巳がえっ？とおれを見て、そしても一度観客席の方を見た。
「ほ・・・ほんとに？」

見間違うわけがない。
そこにいるのはこのみだった。一緒にいるのは松山だ。一年の時から、このみとずっと仲がいい・・・
でも・・・どうして？！
ここからはこのみの表情までは判らない。
ただ、いつもより緊張しているように見えるのは気のせいなのか・・・

「どうした！森山、萩原！早く位置につけー！」
浅岡さんの声に、ハッとした。
「雅巳！このみがいる事、誰にも言うな。絶対だぞ！」
咄嗟に・・・
何故か判らないけれど、それだけすばやく言い置いて、おれは第三走者のスタートラインに駆け込んだ。
・・・

――
「位置について！」

・・・あの人がコーチ、なのかな。
まだ若い、お兄ちゃんより２，３上くらいしかに見えない男の人の声が辺りに響いた。
陸上部専用の練習場は、ウチの学校の校庭なんかより、とにかくとほーもなく広い。
こんな立派な観客席まであって、そもそもこれが学校の備品なんだってことが信じられない。
その中に、50人近くいるんだろうか、陸上エリートと呼ばれる人たち。
三人の男の子が、スタートラインにバトンを持って並んでた。
トラックの中では数人ずつがハイジャンやったり、幅跳びやったり黙々と練習に取り組んでいる。それぞれにも2人ずつコーチっぽい人が傍に付いているけれど、今の声の人に比べるとみんなずっとおじさんで、厳しそうな顔をしていた。

トラックは一周400m。
そっと目線をすべらすと、浩平はスタートから三つ目のコーナーの所に立っていた。
他のランナーの人と何か言葉を交わしながら、今まさにスタートしようとしてる第一走者を見つめてる。
私の知らない人たちばかりに囲まれて・・・当然だけど、そこにいるのは浩平だった。

「森山君、気が付いたかな」
まっちゃんが言う。
「さっき見てたよね、こっち」
うん・・・と小さくうなずいた。
ほんの一瞬だったけど・・・たぶん、気がついてると思う。
まっちゃんってば、わざわざ手なんか振るんだもん。見てるだけで良かったのに。あいつが毎日囲まれている人たち、毎日過ごしている場所。それを見ているだけで良かったのに。

「ね、ね、このみ！」
まっちゃんの声にはっとした。
「今走ってるコ、ちょっとかわいいと思わない？」
「・・・まっちゃんってば」
「たぶん同い年だよね。上品そうでさぁ。うちの学校にはちょっといないよね、あーいうタイプ」

いつの間にかスタートのピストルが鳴っていた。
第一走者はもうゴールして、今走っているのは第二走者。浩平達のいるグループがほんの少しの差でトップにいる。
さすがにどの人もみんな足が早い。
うちの学校にいるときはとにかく浩平のスピードが目立ってたけど、ここではそれさえ霞んでしまう。
今走っている人だって体つきだってスマートで、背だってきっと浩平よりも小さそう。それでもすっごく速い。あの体のどこにそんな瞬発力があるんだろ。
第三走者のスタートラインに浩平がいる。
バトンパスのゾーンまであと15mくらい。
互いににこり、と笑みを交わして浩平の手にバトンが渡った。
ほとんどスピード落ちてないんじゃないかって位の、流れるようなバトンパス。

・・・
『これから勝負していきたいヤツもいるし』
・・・

うちの学校にいるときには、浩平一人がどうがんばったって、リレーでは予選の突破さえ難しかった。
それがここでは・・・。

この間、学校であいつの走りを久しぶりに見たときに何かが違うって感じた理由がその時判った。
浩平は、本気で走っちゃいなかった。陸上部のみんなの力に合わせて流してた。
そんな事が出来ちゃうくらい、あいつは速くなったんだ。
この半年で、うちの陸上部なんかでは到底相手にならないくらい・・・。

浩平が、二位との差を更に広げた。
広いストライド。
極端なまでの前傾姿勢は相変わらずだったけど、前よりすごくバランスがいい、きれいな走りに見えるのは、何が変わったせいなんだろう。
あれだって本気で走ってる訳じゃない。
もっともっと・・・もっと速く、浩平なら走れると思う。
きっと・・・
もっと速くなれると思う。

――
「まっちゃん。行こ」
私は立ち上がった。
「どうしたのよ、このみ」
「どうもしないよ。ただ・・・判ったの」
「え？」
「浩平は・・・やっぱここにいた方がいいんだ。ううん、ここにいなくちゃいけないんだよ」
・・・

いつも傍にいてほしい。今まで通り、何もなかったかのようにただいま、って帰って来てほしい。
でも・・・

「ほんとに、いいの？」
「・・・」
まっちゃんが確かめるように聞いた。うなずくと、そっか、って笑ってくれた。
「あと四年、離れて暮らす自信、ついたんだ」
「自信なんてないけど・・・浩平の居場所はここなんだ、って事だけはよく判ったよ」
「・・・話したいこと、あったんじゃないの？」
「・・・」

友貴君から、思ってもいなかった形でコクられた事は、まっちゃんには話してあった。
まっちゃんは、”二番目でもいい”って言った彼の言葉に驚いて、それってフリンでしょ？って一言言った。
私にスキがあったからって訳じゃなく、ただどうしても自分の気持ちをしまっておけなくなったんでしょ、って。
勇気でもなんでもないよ、子供なだけじゃん、って。

「・・・もういいよ。浩平に余計な気、使わせたくないし」
「ケナゲだねー、このみちゃん」
「そーいうんじゃないよ」
・・・

あいつ・・・ほんとにがんばってる。
自分の目標に向かって、一生懸命がんばっている。
それと比べたらこんな事・・・。

ほんとは、友貴君のことを打ち明けたかった。
あんな事があったからって浩平への気持ちがぐらつく訳がないけれど、やっぱり浩平じゃないと駄目なんだって・・・
私が好きなのは浩平なんだって、強く思わせてほしかった。
・・・

見てるだけ、なんて言いながら、私やっぱりあいつに何か望んでる。
自分のために、浩平に何かしてほしくって仕方ない。
まるで・・・おねだりを聞いてもらえない子供みたいに。
・・・今のあいつの前ではそんなもの、見る影もなく色褪せてしまう程にちっぽけなコトだって判るから。
だから、私逃げるんだ。
ここまで来たのに。
浩平に自分の一番大事な気持ちを、拒絶されるのが恐くって。
・・・

・・・To Be Continued.