途中まっちゃんがお手洗いに行くって言うから、練習場の入り口にあるピロティで待つ事にした。
その間。
ぼんやりそこに立ってると、向こうから、トレーナーにジャージ姿の女のコがやって来た。
腕に下げてる洗濯カゴには、いっぱいの洗濯物。
きっと、陸上部のマネさんなんだろう。
きゅっ、としたポニーテールがよく似合う、瞳の大きなキレイなコ。
私たちと一緒の学年くらいかな・・・。
声をかけようなんて思ったわけでもないのに、どちらからともなく目があった。
凛とした、意志の強そうな瞳の光。
・・・ヤバ。
ここは部外者立入禁止、なんて言われちゃうのかな。
そう思ったときだった。
「お待たせー、このみ」
まっちゃんが戻ってきた。私は咄嗟にしっ、と口元に指を立てた。
「・・・このみ？」
まっちゃんの声に彼女はピクリと反応した。・・・嫌な予感がして、さっさと私は、いいからいいから、ってまっちゃんの事を促した。
――けれど、その時。
「このみっ！」
聞き覚えのある声が、勢いよく私を呼んだ。
ついこの間、聞いたばかりの筈なのに――
何だかとってもその声は・・・心に沁みるように懐かしく感じた。
マネージャーらしき彼女の脇を駆け抜けて、走ってきたのは浩平だった。
・・・やっぱ、気づいてたんだ。私たちがあそこにいたこと。
浩平のヤツ、大急ぎで走ってきたんだろう。
私たちの前に立つと、さっきのリレーなんかより、はるかに大きく息を切らした。
「このばか！何なんだよ！突然やって来て、突然いなくなったりしたら心配するだろっ！」
開口一番怒鳴られて、思わずびくっ、と肩をすくめる。
「久しぶりー。森山君」
「・・・」
脳天気に言ったまっちゃんのカオを、浩平は黙ってにらみつけた。
「何やってんだよ、お前ら学校は！？まさかおばちゃんに黙って来たんじゃねーだろうな！」
「そんな事しないよ！」
「だったら何だよ！」
「・・・何でもないよ」
「何でもなくて、どうしていきなりこんなとこまで来るんだよ！」
・・・浩平のばか！
なんでそんなに頭ごなしに怒鳴るのよ！
「森山君」
その時、それまで黙っていたポニーテールが口を開いた。
「・・・何いきなり怒鳴ってるのよ、、らしくない」
浩平は黙って答えない。
「せっかく彼女が会いに来たんじゃない。安心してよ、私、コーチに告げ口なんてしないから。はじめまして。私三年の榎本千晶。陸上部のマネやってるの」
私は、一瞬まっちゃんと顔を見合わせた。
「・・・あの――」
「いい。知ってるから。もう、あなたのコトは」
「・・・」
「あのね。急がせるみたいで申し訳ないけど、今練習中なんだよね。――この意味、判るよね？」
「・・・」
「今が彼にとってどういう時期か、あなただってよく判ってるよね？」
・・・
黙るしかない。
浩平に怒鳴られるか、彼女――榎本さんに、子供のように諭されるか、それだけの違い。
判ってる。
私ひとりが子供なだけ。
浩平に、会いたい自分を押さえきれなかっただけ。
・・・
友貴君のコト、なんにも言えない。
私も・・・
私だって浩平に、自分を判ってほしいと思ってる。
寂しくて・・・
なのに、これからも離れてなきゃならない、その事を・・・無理矢理自分に、納得させようとしてるだけ。
「・・・ごめんなさい。私・・・」
「・・・」
「私・・・ただ――」
・・・
インターハイまであと少し。
この人に言われるまでもない。浩平が、その日のために頑張ってきた事、私にだって判ってる。
今が、一番大事な時だってコトも判ってる。
でも――。
ぐっ、とお腹に力を込めて言葉を返す。
「見てみたかっただけだから。浩平が・・・残る、って決めた場所を、ただ見てみたかっただけだから」
浩平が、はっと言葉を飲むのが判る。
私はまっすぐ、その視線を跳ね返す。
「インターハイ、始まったらまた来るよ。・・・ごめんね、練習の邪魔して」
「・・・」
「ちゃんと帰るから・・・心配しないで。行こ、まっちゃん」
「・・・でも、このみ」
「いいの！もういいんだってば」
ムリやりまっちゃんの腕を引く。
「待てよ」
「・・・」
「あと一時間、ここで待ってろ」
私はびっくりして浩平を見上げた。
「もう少しで午前中の練習が終わる。だから、それまでここにいろ」
・・・
浩平の目は怒ってた。
榎本さんの言う通り、この大事な時に何考えてんだ、って言わんばかりに。
・・・でも、一瞬後。
その目がわずかに微笑んだ。
傍らで、榎本さんのため息が聞こえる。
「・・・やっぱ甘いんだ、彼女には」
「うるさいよ！お前こそ、洗濯なんかしてる場合じゃねーだろ。記録、浅岡さんがやってんだぞ。さっさと行けよ」
「はいはい・・・」
榎本さんは、もっともっと私に向かって言いたい事があるみたいに見えたけど、浩平が言うんじゃ仕方ないって思ったようで、洗濯カゴを近くにあった棚に乗せた。
「ほら、行くわよ！」
榎本さんが元気に言う。
その声は、浩平の頭を飛び越して、まっちゃんに向かって降っている。
まっちゃんが、へっ？ってカンジで、人差し指を自分に向けた。
「お前ら邪魔だ、って今森山君に言われたの、聞こえなかった？」
「誰も言ってねーだろ！そんなコト！」
まっちゃんは、そこで初めて納得したみたいに、ああ・・・って大きくうなずいた。
「私としたことが、ごめんごめん、気が利かなくて！」
「千晶！てめ・・・」
「まっちゃん・・・！」
慌てたのは、私と浩平だ。
トラックに向かって歩き出した榎本さんを、こっちに向かって軽く手を挙げてまっちゃんが追う。
「・・・ちっとは感謝しなさいよ、気が利くマネが近くにいるコト」
振り向き様に彼女のそんな声が聞こえた気がして・・・
私は小さく言葉を飲んだ。
二人が行ってしまうと・・・
急に、浩平と向き合ってるコトが苦しくなった。
会いたくて・・・
声を聞きたくて・・・
その張本人がここにいる。
今まで、そんな風に意識したコトなんて一度もなかった。
浩平に会いたい、なんて――
思わなくても、会えたから。
望まなくても、傍にいたから。
初めて・・・
何の話しよう――って、私は、浩平のために言葉を選んだ。
「――あの、さ」
・・・
浩平の声が小さく聞こえた気がして、目を上げる。
「――悪かったよ。こないだは、突然・・・あんなコト言ったりして」
「・・・」
「びっくりして・・・当然だったよな。こっちに来ることなんて、お前は考えてもいなかったんだろうし・・・それ以外にも色々、お前の驚くようなコト言っちゃったしさ」
「・・・」
「おれ・・・ああいうの下手くそでさ。大切な何かを切り出すタイミングとか、難しいコト考えられなくて・・・」
「判ってる」
私は、自然と口を開いた。
「昔っからそうだったもん。一生懸命になっちゃうと、自分のことしか見えなくなっちゃう。前から・・・あんたは、いっつもそうだったもん」
「・・・」
「・・・怒んないんだ？」
「ああ？」
「私がこんなコト言うと、いつも怒ったじゃん。さっきの榎本さんに言ったみたいに」
「・・・いつもじゃねーよ」
「うそ」
「いつもじゃねーって」
「うそだぁ！」
「お前な！」
――言いかけて。
浩平は、その時息を飲んだ。
二人でこうして、何てコトない話が出来る事。
・・・浩平なんだ。
ここにいるのは、私の大好きな浩平なんだ。
やっとそのコトを実感出来た。
安心出来る。
・・・私、やっぱりこいつといると安心出来る。
・・・
「・・・何にこにこしてんだよ」
「ううん。何でもない」
「・・・とりあえず――おれも一旦練習戻るぞ」
「うん。まっちゃんと一緒にここで待ってる」
「ああ」
浩平は、いつもの笑顔で頷いた。
・・・To Be Continued.
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