syncro3-10

――
「だから、さんざんお願いしたじゃないですか！」
・・・

意識の中に、誰かの声が滑り込む。
・・・聞いた事のある声だ。
――ナルちゃん・・・？

「今のあいつからダイビングを取り上げたって、何の解決にもなりませんよ！最初にそう言ったでしょ！」
「・・・」
その後に、微かに女の声がする。
・・・何となく――
よく聞こえないけれど気配で判る。
・・・あれは、冴子だ。

・・・
ここは、どこだ？
寝かされている。ベッドの上らしいとやがて判った。でも、おれの部屋じゃない。ましてやナルちゃんちでもない。
・・・
だんだんと、頭の中がはっきりして来た。
鼻をつく消毒液の匂い。左腕に、微かに走る痛みを覚えて元をたどると、その先に点滴の袋が下がってる。
・・・
何のことはない。
まだ病院にいるんじゃん。
そうだ、よく見りゃここ・・・さっきまでおれがいた処置室じゃん。
あれ・・・
でもおれ、外に出たんじゃなかったっけか・・・

――やがて。
冴子になだめられたのか、ナルちゃんの声も小さくしか聞こえなくなった。
起きあがろうにも身体が思う様に動かない。何となく・・・まだ寝たりない。そんな感じだ。
小さく寝返りをうった時。
「おはよう」
処置室のカーテンの陰から、藤沢先生が顔を覗かせた。
「どうかな、気分は」
「・・・最悪」
「あら、そう？気持ちよさそうに、すうすう寝息をたてて寝てたけど」
にっこり笑顔で返されて、おれは少しむっとする。
「過喚起症候群。一種のパニック発作を起こしたみたいね。あなたみたいな人には珍しい事じゃないわよ。――みなさん、眠り姫のお目が覚めたようですよ」
先生が、処置室のドアを開けて隣りの部屋へと声をかけた。

ほどなく、何人かの人の気配がして、真っ先に駆け寄って来たのがナルちゃんだった。
「大丈夫かっ！拓！」
ナルちゃんの方こそ大丈夫？・・・なんて言いたくなる程のくしゃくしゃ顔で、おれの事を抱きしめる。
「・・・い、痛いよ、ナルちゃん」
まだ点滴してるんだからね。
ナルちゃんは、はっとして腕を緩めた。

「・・・よかった。しゃべってる」
「は？」
「は？じゃないわよ。通りの角に倒れてたのを彼がここまで運んでくれたの」
ナルちゃんの隣で、呆れたように冴子が言った。
「ダメじゃない、勝手に帰ろうとしたんだって？何のために先生がお迎えを連絡してくれたと思ってるの？」
「お迎えって・・・並木先生のコトだろ」
「そうよ」
「・・・悪いと思ったんだよ。仕事中に呼び出したりして」
「ばーか。ヘンな気ぃ遣うからこんなコトになるんだよ」
「・・・だけど、何でナルちゃんがこんなとこに？」
「俺が頼んで来てもらったんだ」
第三の声がした。

並木哲史。
おれが今、アシスタントのアシスタントみたいな事を手伝っているプロの水中カメラマンだ。
「ちょっと、すぐには手が放せなかったんでね。神崎さんから、そういう時は成瀬君を呼んでいい、って言われていたし」
「・・・お前に成瀬君、なんて呼ばれたくねーよ」
心底不機嫌にナルちゃんがぼやく。

その表情(かお)が子供みたいで可笑しくて・・・
思わず笑って・・・
ナルちゃんとおれの視線がぶつかった。
「・・・どした？」
「ううん。あのさ――」
「おう」
「おれ・・・やっぱナルちゃんのコト好きだわ」
「ばーか」
ナルちゃんの大きな掌が、くしゃっとおれの髪へと触れた。

「拓」
呼びかけたのは、並木先生だ。
「お前・・・そんなに辛かったんか、ダイビング出来なくて」
「だーかーら！そういう事ストレートに訊くなっつってんだろーがよ！」
ナルちゃんが言い、冴子が遮る。
「俺はさ、みんなと違ってお前の思ってる事とか気持ちとか、その、黙って察するっての苦手だからさ・・・」
――

並木先生は、今年40歳になる。
自分の写真集の巻末に顔写真が出てるけど、あれはこの人特有の照れ隠しで、実は全然別人なんだ。
そこにはすっげぇ貧相な、どう見てもダイビング、なんてものとは縁遠そうな顔が載っている。
でも実物は、フランス人とのクォーター。
よっく見ないと判らないけど、瞳の色とか微妙に違う。今でこそ茶髪なんてどこでも当たり前だけど、この人の髪は天然の茶髪。背も高い。
おれもナルちゃんも、まあ身長は決して低い方ではないけれど、フランス人の血には敵わない。
まあ、平たく言って、かなりのいい男なワケだ。
だけど、彼は全くのノーマル。
もちろん冴子の依頼を受けて、おれの面倒を見てくれようなんて言うんだから、その気があっちゃ困るんだけど。
おまけにクォーターなんて言うものは、一応見てくれには影響してるけど、当然言葉は無関係なワケで・・・"ど"がつく位に純粋な、ベタベタの日本語をしゃべってる。
英語は何とか出来るけど、フランス語は全くだめ。
カメラマン、なんてハイカラな仕事している割に、案外不器用でまっすぐな人だ。

だから・・・かな。
おれは、何故かこの人にだけは、ずいぶん色々な話をした。
何の話をしたかなんて、いちいち覚えていないけど・・・
たぶん、ナルちゃんにさえ話してないようなコトをおれはこの、知り合って半年にもならない中年男には打ち明けている。
智と出会った頃のコト。細々としたたくさんの思い出。
そして、祥子おばちゃんのコト。

聞いた所で、何をアドバイスするワケじゃない。
先生はただ、ふんふん、と、次に行く撮影先の検討とかをしながら、聞いているのかいないのか、そんな感じで先を促す。
いかにも"あなたの全てを受け止めます"って風じゃないとこが、おれには気楽で合ってるのかも知れない。
ダイビングの経験もおれなんかより遙かに豊富で、何度もナルちゃんと行ってる筈のスポットの意外な穴場を教えてくれたり、逆におれが教えてやったり。
一応、先生、なんて呼んではいるけど、立場的には友達に近い。

――
「別に、察してほしいなんて思ってないですよ」
いつになく、情けない顔になっている先生に向かって笑って見せる。
「第一、勝手に気持ちを先回りされて、思いこみで判断されるのっておれ、一番嫌いだし。ただ・・・ここに通うことになったいきさつは、かなり強引だったと思うけど」
「だってなぁ・・・」
先生は、ため息混じりに頭をかいた。
「仕事から帰って来たら、お前が部屋の前にうずくまっててさ。尋常じゃなかったじゃん。顔色はわりーし泣いてるし・・・まるで、別人だったしさ」

おばちゃんとの一件のあった日だ。
あの時のおれのかっこを見たら、普通だったらまず病院、と思ったとしても不思議じゃない。
仕事仲間の紹介で、さっそくおれをここの藤沢先生の所に連れて来たのが、二週間ぱかり前の話だ。
当然、おれは通院なんて断固拒否した。
確かに、気が付いたら先生のマンションの前にいて・・・
その間自分がどこをどうやって歩いて来たのかも思い出せない、なんていう状態が、何ともないとは思ってない。
でも。安定剤をもらったり、話を聞いてもらったりするだけで、おれの中から"あいつ"へのわだかまりが消えるワケじゃなかったし、ましてや、智の思い出を笑って話せるワケでもない。
そんな風にはなりたくもない。
一通り話を聞いてから、並木先生は、このままじゃおれ自身が一番つらいんじゃないか、って訊いて来た。
このみもおんなじコトを言っていた。

『苦しく・・・ないの？こんな風に、智兄ちゃんの想いに縛られて』
・・・

――
つらくない、と言えばウソになる。
けれど、これがおれの償いだから。
あいつを助けてやれなかった、おれ自身への罰だから。

その一言が、先生にとっては決定打となったらしい。
この人にとっては、自分の新しい写真集を出すのより遙かに重要な問題提起にうつったらしく・・・
一週間後の沖縄への撮影旅行は突然キャンセル。
藤沢先生から、大丈夫、の太鼓判を押されるまではダイビングも禁止となった。

『死んだ者が願うのは何より、残された者の幸せだろう？
それを追求出来なくて、何が約束だ。
そんなんで智紘君が喜ぶワケがないだろう？』

――
そう。喜ぶワケがない。
だってあいつは死んだから。
喜ぶも喜ばないもないさ。あいつはここにはいないんだから。
おれは、おれに出来る事をするしかない。
あいつのために、あいつの分まで。
――

「先生は、何にも気ぃ回さなくていいんだよ。今まで通り、おれに写真手伝わせてよ・・・どうしてもやだ、って言うんなら仕方ないけど」
「そん時は今まで通り、おれと一緒に出かけりゃいいじゃん」
ナルちゃんが言い、冴子が先生の方を見る。
しばらくの間考えて・・・並木先生が口を開いた。
「お前を放り出すのは簡単だよ。はっきり言って専門外だし。でも・・・そうしたからって、何が変わるわけでもなさそうだし」
「・・・」
「将来写真家としてやって行きたい、って言うんなら力づくでも辞めさせるけど、そういうワケでもなさそうだしな。・・・まあ、海に潜れればいいってだけなら、俺は別に構わないけど」
「・・・じゃあ、いいんだ？一緒にいても」
「乗りかかった船だ。ほっとけないだろ、俺のせいでこうなったなんて怒られちゃさ」

ナルちゃんが、残念そうに舌打ちをする。
「ただ・・・こういうのって、あんまり幸せな生き方じゃないと思うけどな」
「そう？おれは十分幸せだけど」
にっこり笑って答えを返す。
「一度家には連絡入れろよ。家族としての最低限のルールだろ？」
「はいはい」
「このみちゃんも心配してたわよ。インターハイ、絶対一緒に応援に行こうって言っといてって」
「・・・」
――おれと違って・・・
あいつはほんとたくましいよな。
思わず、くすりと笑いがこぼれる。

たぶん、おばちゃんは・・・
インターハイが終わったら浩平にも、全てを話すつもりでいるんだろう。
でも、おれはそんな必要ないと思ってる。
今更・・・
それを知らされたからって何になる？
智もおじちゃんもいない今。あの時一人、何も知らされてはいなかった浩平が、今更それを知った所で――
ほんとの気持ちを問いただせる本人達もいない所で、そんな話を聞かされたって――
おれと同じに・・・いや。事によったらそれ以上に落ち込むのに決まってる。
おれと違って浩平は、智を越えようとしてるから。
あんな兄貴を。
何でもかんでも背負い込んで、身動き出来なくなってたあんな兄貴を。
・・・

「明日、帰るよ」
「帰るって？」
「決まってるだろ。家にだよ。かわいい妹のお供を務めに」
「・・・そう」
静かに冴子が微笑んだ。
・・・

・・・To be continued.

　　　　