syncro3-4

「ただいま」
学校から帰ると、珍しくお母さんが家にいた。
鼻をくすぐる柔らかな紅茶の香り。
「お帰り」
「・・・あれ。今日、テニスじゃなかったっけ？」
そのつもりで、今日も買い物して来たのに。
スーパーの袋を、よいしょっ、と、ダイニングのテーブルに乗せる。
「まあ・・・たまには、娘孝行しないとね」
「何よ、それ。・・・あ。シフォンケーキ♪」
「さっき焼いたの。紅茶で食べる？」
「うん。食べる食べる！」

洗面所で手を洗いながら・・・
お母さん、昨日の事を気にしてるんだ・・・。

無理もない。昨夜、お兄ちゃんは帰らなかった。
バイトなら、朝には帰って来ている筈なのに。
朝ご飯の時。お父さんも心配して、お母さんに訊いていたけど電話も何もなかったみたい・・・。

思い出す。
あの事故の後にも、こんな事があったっけ。
あの時は一週間、兄キは帰って来なかった。警察に捜索願まで出して、本当に・・・本気でみんなで心配して・・・
祥子おばちゃんも、何度もうちに来てくれて・・・

「お兄ちゃんから、連絡あった？」
「ううん・・・」
リビングで、紅茶をカップに注ぎながら、お母さんは首を振る。
「祥子さんからは二回電話があったけど」

おばちゃん・・・心配してくれてるんだ。
あんなにひどい事を言われたのに。
私なんかに――
よりにもよって、絶対知られたくなかったと思う私なんかに、あんな形で過去を晒されて・・・。
でも。
兄キはきっと、それよりもっと傷ついている。
この四年間。
私たちに何も言わなかったのは、それが智兄ちゃんの本意なんかじゃないことをお兄ちゃんが知ってたからだ。
誰よりも――
それを知ってたからだ・・・。

「ごめんね」
お母さんが私に言った。
「ショックだったでしょ、こんな形で知らされて」

・・・そっか。
お母さんも知っていたんだもんね。
みんな知ってて。じっと心の奥にしまって来た過去だったんだもんね。
「・・・お母さんが悪いワケじゃないよ」
「祥子さんの再婚のこと、拓に話したりしちゃったから・・・。でも、黙ってるワケにも行かないと思ってね」
「うん・・・」

・・・そうだよね。
他の誰かから、全然何気ない形で知らされたりする方が、もっとお兄ちゃんは傷ついたと思う。
お母さんでよかった。
私なら、大切な事実だからこそ、大切な相手から聞きたいと思う。
例えそれが、どんなに傷つく事実だとしても。

リビングのソファに体を沈める。
お母さんは、私の前に切り分けたケーキと紅茶を並べてくれた。
「このみは？大丈夫・・・？」
「・・・」
目の前にあるのは、私の大好きなココアのシフォン。

そういえば・・・
あれから、友貴君とも会ってない。
お菓子クラブは、相変わらず毎週やってるけれど、友貴君は姿を見せない。
恭子ちゃんの話だと、何でもお父さんのお店が忙しくなって毎日手伝っているらしい。
でも――
だとしても――
私、避けられているんだな・・・。
当然だとは思うけど・・・。
もしも。あんな事がなかったら、今でも私たち笑いながら、お菓子を作っていられたのかな・・・。

人を好きになる、って難しい。
この前、浩平に会った時。私は、出来ることならずっと一緒に――
今から受験勉強を始めてででも、一緒にいたい、って強く思った。
そして、友貴君。
私が浩平を好きなの知っていて・・・
自分が私の一番に、なれないってコトも判ってて・・・
それでも、自分の気持ちを判ってほしくて・・・
その結果、失うものの大きさも、もしかして彼には判ってて・・・
それでも、私に思いをぶつけて――

一体、どっちの勇気が本物なんだろう。

祥子おばちゃんと結婚しながら・・・
子供までいながら・・・不倫していた伸一おじちゃんと――
それを知りつつ、別れられなかった祥子おばちゃん。
そして。
全てを・・・ずっと、自分一人の心の中にしまいこんで来た智兄ちゃんと――
自分で自分を傷つけてまで、おばちゃんに思いをぶつけたお兄ちゃん。

・・・
「ねえ・・・お母さん」
「なに？」
「お母さんは、いつから知ってたの・・・？おじちゃんのコト」
「祥子さんは、ずっと前から言ってたの。何かヘン、って。たぶん女の人がいるんじゃないか、って。いくら時間的にすれ違いの多い夫婦だって判るわよ。確かな証拠はなかったけれど、何となく、って」
「・・・」
「祥子さんには・・・結婚前に好きな人がいたの。結局、二人は結ばれる事はなかったけれど・・・伸一さんは、智紘君のことをその人との間にできた子だったんじゃないか、って疑っていたみたいでね」
「えっ？！」
「祥子さんは否定したわよ。でも・・・残念だけど、絶対違う、って言い切れるものもなかったの。だから、伸一さんが望むならDNA鑑定してもいい、って話にまでなって・・・」
「・・・」
「結局・・・あの事故で消えてなくなった話だけどね」

――そんなもの、調べたからってどうなるの・・・？

仮に・・・
そんな検査の結果で智兄ちゃんが、伸一おじちゃんの子じゃなかったとしても・・・
智兄ちゃんは智兄ちゃん。
何にも変わることなんかあるワケないのに。

「・・・智兄ちゃん・・・知っていたのかな。自分のお父さんが、自分をそんな風に思ってたって・・・」
「・・・」
――お母さんは、黙ってしまった。
たぶん・・・
答えは今更聞くまでもない。
そういうコト・・・。

でも。
だから何なの？
仮に――
本当に――
もし、そうだったとしても。
浩平と智兄ちゃんが兄弟であるコトには変わりがない。
私の・・・
私たちの大好きな、智兄ちゃんであるコトには変わりない・・・。

「このみ・・・」
涙が出てきた。
私・・・
私ってば・・・本当に――
本当に、何にも判ってなかった。
判ったからって、何がどうなるワケでもないけど、でも――
それでも――

「・・・ひどいよ。そんなのって、ひどすぎる」
「・・・」
自分のせいで誰も不幸にしたくない。
たぶん、智兄ちゃんは、そう思い続けてたと思う。
自分の居場所を探し続けて。
誰かが自分を頼ってくれるコトで、自分の存在を確かめて。
・・・
『大丈夫だよ、お母さん』
『僕が浩平見てるから』
――大丈夫だよ。
・・・
智兄ちゃんは悪くない。
何にも悪くなんかなかったのに。
――
お母さんは、何にも言わずに私の隣に腰掛けた。そのまま、まるで小さな子供にするみたいに、私の頭を抱き寄せる。
・・・・
あったかい。お母さんの手。
誰かの傍で、こんなぬくもりに包まれて、泣ける自分は幸せだと思う。
智兄ちゃんが欲しかったのは、きっとこんな瞬間だったんじゃないか、ってその時思う・・・。

お兄ちゃん。
早く・・・
早くここに帰って来て。
私なんかじゃ、てんで役不足だって判ってる。だけど、一人じゃ辛すぎる。
私たち、智兄ちゃんの分まで家族でいたいよ。
こんな時こそ、一緒にいたいよ――。
涙を拭って、お母さんが入れてくれた紅茶を飲んだ。
ほんのり甘い・・・その香りをかいだ時。
その時ほんのちょっとだけ、心に見えない灯りが点った気がした。
・・・

・・・To Be Continued.

　　　　　