週末の昼下がり。
久しぶりに"5th.Avenue"のカウンターで、私は冴子さんと並んで座った。
ランチタイムの過ぎた店内には、お客さんの姿はほとんどいない。
お仕事の途中、だったのかな。
今日の冴子さんは、タイトなグレーのスーツ姿。
胸元のボウタイの陰からは、小さなダイヤの光がもれる。
こないだ浩平が来た時に、みんなで食事した時にも感じたけれど・・・
冴子さんは変わった。
初めて会った頃よりも、ずっと柔らかで優しい空気を漂わせてる。
それが誰のせいなのか。私にはよく判ってる。
「彼、今並木先生のとこにいる筈よ」
「並木・・・って、あの写真家の？」
「そう」
「・・・なんだ。私、てっきり冴子さんのとこにいるんだとばっかり思ってた。だから気を利かせて、すぐに電話なんかしないでおいてあげたのに・・・」
冴子さんは微笑んだ。
「このみちゃんは、まだ一度もお会いしたことないのよね。並木先生と」
「うん・・・」
「今度紹介してあげようか」
「・・・」
確かに――
あの人の撮る海の写真は、どれもとってもステキだし・・・
兄キにいつか見せてもらったイルカの写真集も、すごくかわいいとも思ったけれど・・・
全然写真の心得もないようなウチの兄キをつかまえて、自分のアシスタントにしようだなんて、何考えてんの？！って私は思う。
のこのこそんな誘いに乗っかって、卒業したら家を出る、なんて決めちゃう兄キも兄キだし、二つ返事で賛成しちゃうウチの親達もどうかと思う。
写真集にあったプロフィールじゃ、40代の、なんかさえないおじさんだった。
いくら冴子さんの知ってる人でも、正直言ってがっくりで・・・。
だから、並木先生自身には、私は興味も関心も、それこそひとっかけらもないのだった。
「冴子さんは・・・お兄ちゃんから、話、聞いた？」
「ううん。拓は・・・私には、昔の事は、あんまり話したがらないから」
「えっ・・・？」
「拓にとって、智紘君との思い出は誰にも入り込めない大切な場所なの。このみちゃんや、浩平君たちは別として、ね。ナルちゃんもそう言っていた。何でも話してるフリをして・・・ここっていう一線だけは、かたくなにカベをはりめぐらしてる。そんな感じ」
「・・・」
「楽しかった事とか・・・そういう思い出話はするわよ。でも、今回のように心の奥に、ずっとくすぶり続けて来たような事については、決して話そうとはしなかった。並木先生以外にはね」
「・・・並木先生以外、には・・・」
冴子さんは頷いた。
「・・・お兄ちゃん、そんなに信頼してるんだ。その人のコト」
「彼には、必要な事だと思うの。自分の思いをただ黙って聞いてくれる人の存在が」
「・・・」
「すごく後悔してるみたい。このみちゃんにあんな形で、智紘君の気持ちを伝える事になってしまって」
「・・・智兄ちゃんの事になると前からそう。お兄ちゃん、自分で自分のしてるコトが判らなくなっちゃう。私より・・・おばちゃんより、きっとお兄ちゃんの方が傷ついてる。そう・・・思ってた」
「・・・」
いつの間にか、カウンターにいる私たちの前には三村さんが立っていた。
私たちにアイス・オ・レのグラスを並べてくれる。
「・・・どうしたらいいの？浩平はまだ、何にもこのコトを知らないの。おばちゃんは、インターハイが終わったら全部あいつに話す、って言ってた。でも・・・その前に私、あいつに会わなきゃならない。応援に行く、って約束してるし・・・けれど――」
「・・・」
「私、どんなカオして・・・浩平に会ったらいいのか判らないよ・・・」
自分が何も知らない所で、自分の家族は壊れてた、って――
そんなコト、今更知った所で新しい何かが生まれる訳じゃない。
過去の出来事に縛られて、今の自分――これからの自分が見えなくなるだけ。
そう思う。
でも・・・
それが自分の家族だから。
誰よりも身近にいた人たちだから。
浩平だけが、何も知らされないままに過ぎてしまっていいコトじゃない。
あいつにとって、智兄ちゃんはライバルで・・・
誰よりも身近な、勝ちたい相手で・・・
その人が、何を思って、何を感じてここにいたのか。
後悔しながら・・・
自分のコトを責めながら・・・
察してあげるしか出来ないとしても――。
「自分を作る必要はないと思うな」
冴子さんが静かに言った。
「行って・・・しっかり、見て来てあげればいいと思うの。この日のために浩平君は、ずっとがんばって来たんでしょう？行って、その目に焼き付けて・・・後で辛い思いをするかも知れない、でもそれが判っているんだもの、彼が一人で辛い思いをしなくて済むように、一緒にいてあげればいいと思うな・・・」
「・・・」
「一人で受け止めるより、二人で受け止めた方がいくらかでも、気持ちが救われるって事もあるでしょ」
・・・このみちゃんには、判ってると思うけど。
言う代わりに冴子さんは静かなまなざしで私を見つめる。
「ねえ・・・冴子さん。もしも、お兄ちゃんに会えたら伝えて。一緒に行こう、って。インターハイ、絶対一緒に応援に行こう、って」
「判ったわ」
「今冴子さんの言葉を聞いて思ったの。私、浩平より先にこの話を知ってよかったって。だって、もしも一緒に聞いてたら・・・もしも、後で聞いてたら・・・どっちにしても動揺しちゃって、きっと何にも考えられなくなってた。一緒にいてあげたいなんて絶対思えなかったと思う。自分で自分を支えるだけで、精一杯になってたと思う・・・」
「・・・」
「お兄ちゃんに、ありがとう、って。自分の二の舞を踏まなくてもいいように、きっと私に先に話してくれたんだ、って思うコトにする。兄キだからね、一応今回は花持たせてあげる、って」
「それを聞いたら、きっと拓も救われるわね」
「でしょ？思いっきり感謝してほしいよね。こんなに前向きな妹を持って」
冴子さんは、三村さんと顔を見合わせて、にこりと笑った。
・・・
――
友貴君ちのケーキ屋さんは、駅前の一番にぎやかな通りに面して立っている。
中には、ちょっとした喫茶店のコーナーもあって、春夏にはオープンテラスのカフェにもなる。
雑誌に紹介されたコトもあるくらい、この辺ではちょっと有名なお店なんだ。
最初、私はここを三村さんに教えてもらった。
自分の家からそんなに遠くもないとこに、こんなステキなお店があったなんて、全然私知らなくて、ましてやそこが自分の後輩のうちだなんて、全然考えてもいなくって・・・
だから、お店の前で初めて制服姿の友貴君に会った時は驚いた。
てっきり彼も、ケーキを買いに来たお客さんだと勘違いして、
「どれにします？」
なんて聞かれて、素直に答えてその挙げ句、全部タダにしてもらっちゃった時には、穴があったら入りたいくらい恥ずかしかったっけ・・・。
思わずくすり、と思い出し笑い。
そんな時。
「・・・先輩」
友貴君の声が聞こえた気がして振り返る。
そこには、本当に制服姿の友貴君が立っていた。
「わっ・・・！」
「こんにちは」
友貴君は、ぺこりとひとつ頭を下げた。そして、にこり、と笑って見せる。
「ケーキ、ですか」
「う・・・うん。あ、いえ、そうじゃなくって・・・！」
・・・
何だか、しばらく会わない間に、大人びて見えるのは気のせいなのかな・・・。
あの、日向の向日葵みたいに弾ける笑顔はなかったけれど、それよりちょっと男の子っぽい・・・ううん、男の人っぽい雰囲気が、そこはかくなく漂って来る。
「あの・・・っ！あの、ね・・・友貴君」
「はい・・・？」
「今・・・忙しい？・・・少し話、してもいい？」
「・・・」
友貴君は、一瞬考えた。
・・・無理もないよね。
あんな形で傷つけて、挙げ句の果てに突然家までやって来て、少し話、もないもんだよね。
我ながら、何て虫がいい・・・
勝手なコトしてるんだろ、私ってば。
「いいですよ」
――でも。
友貴君はそう言った。
「ここじゃなんだから・・・中入りませんか？」
「え・・・えっ？！」
「ご馳走します。どれでも好きなの」
「いっ、いいよ！そんなつもりで来たんじゃないもの！」
「先輩に見せたいケーキがあるんです」
「・・・」
「食べてって下さい。せっかくだから」
友貴君は先に立って、お店の中に入ってく。
それに促される形で、私は慌てて後を追った。
・・・
・・・To be continued.
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photo by fukumimi of "Stylish".
