syncro4-7

「・・・ああ。そうですか。・・・はい。どうも」
ケイタイの通話ボタンを切ってラウンジに戻る。

「誰から？彼女・・・？」
坐るなり、正面から女が訊いた。
「そんなんじゃないですよ」
「またまた。だってモテるんでしょ？拓君は」
「あれ・・・判ります？」
女は笑った。
「ほんとにあなた、いい性格してるわねぇ」
隣で並木先生が小さくこほん、と咳をする。
「・・・で。次回のテーマなんですけど」
「ああ。はいはい」
女はそこで初めて先生の存在に気付いたみたいに視線を戻した。
・・・

電話はホテルのフロントからだった。
このみから予約の電話があった事、あさっておれがそっちへ行く事を伝えたという事。その確認と報告だった。
高校生に10万円の小遣いは、ちょっとどうかなとは思ったけれど・・・
まあ、おれ譲りの勘の良さと行動力に免じて許すとするか。
――

「・・・おれ、あの女嫌い」
帰りの車。助手席で、こらえてた思いを一言吐き出す。
「・・・仕方ないだろ、あれでも一応『大手出版社企画部』だ」
「やめれば？写真集の出版なんか」
「お前な――」
また信号にひっかかる。
おれなら突っ切るとこだけどな・・・。
ヘンなとこで律儀なんだよ、このクォーターの水中写真家は。

「誰のお陰で沖縄に行けると思ってんだよ」
「・・・」
「何ならまた送り返してもいいんだぞー、藤沢先生のとこに」
「あれ、いいのかなぁ。そんなコト言っちゃって」
「ああ？」
「知らないからね、今の企画がおじゃんになっても。あいつ、おれが一晩相手をしたら、きっと南極へだって行かせてくれるよ」
並木先生は平手でおれの頭をぺしん、とはたいた。

「いてっ！」
「そういう言い方、やめろっつったろ。何のために神崎さんがお前を託してったと思ってるんだ」
「・・・へえ。おれって託されたの？知らなかったなぁ、いつから？」
「やる気がないんならいつでも帰ってもらって結構だ」
信号が変わる。先生は乱暴に車のギアをドライブに入れた。

以前なら・・・
ああいうタイプの女といても嫌悪を感じたりなんてしなかった。
無意識にそういう気持ちを殺せたし・・・
相手の望む自分を作ればよかった。
年下の男。
女々しい男。
生意気な男。
・・・
でも。
最近は、そういう演出がかったるい。
相手が自分に望んでるものが判っても、それに応えてやる気になれない。
そういう期待を裏切る事。
今のままの自分を見せて、相手の反応を楽しむ事。
今までだったら面倒くさくて・・・怖いとさえ思っていた事。
少しずつ、思い出してる自分に気付く。

「で・・・どうする、これから」
片手でハンドルを握りつつ、並木先生はダッシュボードからタバコを取り出す。
「・・・？何が」
「この先も、ずっとあの人の再婚話に反対してくのか」
「あの人・・・」
「とぼけるな」
これ以上からかって怒らせたら、本当に藤沢先生のとこに強制送還されかねない。
おれは笑って言葉を返した。
「別に反対なんかしてないよ」
「してるだろう」
「してないよ」
「大切な友人のお母さんだろう。幸せになってほしくないのか？」
「・・・」

智は・・・
智だったら・・・
一番に何を願っただろう。
壊れた家族。
ウソで固めただけの"家"。
その中で・・・あいつの望みって何だったんだ・・・？

『僕にはどうにも出来ないコトなのかも知れないけど、このままじゃ母さんも辛いし・・・浩平だって――何も知らないままなんだ。・・・このままにしてはおけないし・・・』

だからって――
お前に何が出来た？
一生懸命抱えたウソで、身動きできなくなってたのは誰だった？
そしておれは、そんなあいつに何も出来ずに・・・

「お前の気持ちは判るけど・・・普通、四年もたてば状況だって変わるだろ」
「普通じゃないから。あの人は」
「・・・」
「お互い散々好きにやって来たんだ、あの夫婦はね。少しくらい智の気持ちを思い知ってもらわないとね」
「思い知る？」

――また信号だ。
車は止まった。
「あれは事故だろ？」
「そうだけど・・・智があの日、飛行機に乗らなきゃならなかった原因は、あいつらだから」
「・・・」
「親父はまだしも・・・智が一緒に死ななきゃならない理由は何にもなかった」
「それは事故に遭った皆がそうだ。彼だけじゃない。原因もはっきりした。補償の交渉も進んでる。個人のせいなんかじゃない」
「・・・」
「そんな事くらい・・・判るだろう」
灰色がかった瞳がおれを見る。
おれは視線を外へと逸らした。

事故の原因なんか・・・どうでもいい。
智は、何処にもいないって事。
それだけが真実であって、ほんとの事だ。
あいつの潜りたがってた海、行きたがってた場所、何処を探してもあいつはいない。

・・・それだけだ。

先生は黙って煙を吐き出した。

「・・・それはそうと。あさってからだったか？出かけるの」
「そ。このみの彼氏の応援ね」
「たった一日でいいのか、休み」
「一日あればじゅーぶんでしょ。寧ろおじゃまかも知れないし」
「まあ・・・あんな事があった後だしな。知ってる顔が一人でも多く近くにいれば安心だろう」

あの時。
先生は、おれを送って来たついででそこにいた。
全くの偶然。不幸にして巻き込まれた第三者。
おれから断片的に聞いてた話の一部始終を、知らされる羽目になってしまった。
気の毒だったとしか言いようがない。あんまり気持ちのいい話でもなかっただろうに。
・・・

けれど、この人の態度はいつもと全然変わらない。
まるで何事もなかったように・・・
それでいてさっきみたいに、ずばり核心をつく事をさらりと訊いて来たりする。
歳の割に、こういう直球勝負の出来る所がこの人の何より大きな強みだな・・・。

「再来週辺り出発するからな。バイトの件もあるだろ。神崎さんとよく打ち合わせしとけよ」
「はいはい」

早く、潜りたい・・・。

沖縄行きが延期になってこの２週間。そればっかりを考えていた。
音のない世界。
正確にはあるんだけれど、陸の上みたいな賑々しい音の洪水とは全然違う。
潮の流れに身体を預けて、ただ漂って・・・
水の中に差し込む日差しをぼんやりとただ受け止めて・・・
沈んでいたい。
このままずっと。

・・・こんな事、藤沢先生に話したらまた薬が増えるんだろうな。

外は、この夏初めての真夏日だった。
――

・・・To be continued.

　　　　　