syncro4-3

「いや！本っ当に申し訳ないっ！ごめんなさいっ！」
――

・・・その、杉崎、っていう小児科の先生は、祥子おばちゃんに向かって何度も何度も頭を下げた。
「まさか・・・まさか浩平君が何にも知らされていなかったとは、全然思ってもいなかったんだよ！」
「だからって、何でもかんでもぶちまけていいってものでもないでしょう！？」
祥子おばちゃんは、本当に――本気で怒ってた。
「寄りにも寄ってわざわざ学校まで押し掛けて・・・人が頼んでもいない事を勝手に子供にぶちまけて！」

私と兄キは、浩平の家にいた。
もしかしたら・・・あいつから何か連絡が――
ううん。
きっとあいつは、ここに向かってるのに決まってる。
杉崎先生から聴いた話を確かめに。
きっと――自分の耳で確かめに、ここへ向かってるのに決まってる。
時計は７時を回ってた。
そろそろ・・・何か連絡が来る筈だ。
私は、杉崎先生とおばちゃんのやりとりを気にしながらも、さっきからずっと時計と電話に交互に視線を投げている。

・・・どうしよう。

ことによったら・・・
もしかして・・・
これって・・・最悪のパターンになっちゃった、の・・・？

浩平は、自分が今まで知りもしなかった真実を、一番何にも知らない筈の人から聴かされた。
それも、かなり一方的に。
その時のおばちゃんの思い。
智兄ちゃんの思い。
それらを何にも知らないままに。

・・・どうしよう。
一体――どうしたらいいんだろう。

お兄ちゃんは、さっきからずっと黙ったまんまおばちゃんと杉崎先生のやりとりを聴いてたけれど、ふいに、ふふっ・・・って笑って見せた。
「どうせ・・・こんなコトになるんじゃないかって思ってた」
おばちゃんが、はっとした様にお兄ちゃんの方を見た。
「どうするのさ、これから」
相変わらずの冷たい言い方。

「あんただってその人に、浩平でさえまだ知らないお家の事情をうち明けたんだろ？赤の他人のその人に。たった一人の家族でさえ、まだ知らない事実をさ」
「・・・」
「どうすんだよ、これから。人のコト責めてる場合かよ」
「・・・」

学校からの電話によると、昼休みまで確かに浩平は校内にいた。
杉崎先生と話をして、その直後。浩平はそのまま学校を飛び出して・・・
判っているのは寮に戻って、自分の部屋から持ってたお金のほとんど全部を持ち出してるコト。
すぐ新幹線に乗ったとしたら・・・それからもう、５時間以上が経っている。
・・・とっくに着いていたっていい筈だ。
現に、杉崎先生は二時間も前からここにいる。

「・・・ケーサツとかに届けた方が・・・」
「バカなコトを言わないでっ！」
杉崎先生の一言を、ばっさりおばちゃんは切り捨てた。
私も――
信じたい。
浩平は・・・そこまでバカなヤツじゃないってコト。
自分で何の確認もしないまま、人の話を鵜呑みにして軽はずみな行動をとったりする程・・・そこまでバカじゃないってコト。
でも・・・
でも、もしも――。

何をしたらいいのか判らない。頭の中が真っ白になった。

・・・
『おれ、後悔してるんだ。もっと兄貴と色んな話しておきゃよかったって。仕事バカだった親父の事、それの上行くおふくろの事、ほんとはどう思ってたんだ、って。他にももっと色々・・・聞いときゃよかった。あいつもおれに話したいことが、もっとあったんじゃないか、って。なんでか判らないけど――今になって、すっごくそう思うんだよ』

・・・
『あの飛行機に乗っていたのは、おれだったってよかった筈だ。智兄がおれを生かしてくれた。だとしたら、おれはあいつの分まで出来ることをやるしかない。おれはおれの場所で、がんばるっきゃないんだよ』
――

浩平にとって、智兄ちゃんは近くて遠いライバルだった。
何をやっても・・・
自然と比較もされたし、その逆に、出来て当然みたいに思われて、ほんとのあいつを認めてもらえないコトも確かにあった。
私だって・・・そうだった。
智兄ちゃんは智兄ちゃん。
浩平とは違う。
得意なコトも性格も違って当然。当たり前なんだ。
そのコトが、やっと私にも判ってきた。
浩平が、自分で自分の居場所を探してここを出て・・・
遠くの学校で自分の力を試したい、って言い出して・・・
智兄ちゃんとは違う、浩平らしいやり方で、自分のコトを一生懸命確かめたくて。
そんなあいつの想いが、少しずつ・・・判るような気がし始めて・・・。

でも――
ほんとの智兄ちゃんは、そんな浩平の気持ちとは別の所で闘っていた。
何年も・・・一人っきりで"それ"を抱えて。
浩平や私、お兄ちゃんにさえ手が届かない程の遠い所で・・・。

・・・あいつは――
今、どんな気持ちでいるんだろう。
あと、もう何日かで、念願だったインターハイが始まる。
浩平の夢だったインターハイ。あいつにとって、それは智兄ちゃんを掴まえたって実感出来る唯一の目標だったのに違いない。
ここを離れて・・・
そうするコトが、智兄ちゃんへのせめてもの挑戦だって考えて。
――

「私・・・」
やっとの思いで口を開いた。
早く・・・
一刻も早く浩平の気持ちを知りたいと思った。
せめて一緒に受けとめたいって思ってたのに、結局あいつを一人っきりにしてしまった。
何が出来るかなんて判らない。
こんなに深刻に私たちが思うほど、あいつは重くは受けとめてないかも知れない。
だとしても――

「私・・・駅まで行ってみる」
「ここにいた方がいい。行き違いになるぞ」
「でも・・・！」
「大丈夫」
お兄ちゃんはきっぱり私に言った。
「ここに来るって判ってんだからいた方がいい。少なくともお前は、絶対ここにいなくちゃ駄目だ」
「・・・」
お兄ちゃんは、その目をそのままおばちゃんに向けた。

「あんた・・・前に言ったよね。おれはおれの時間をこんな事で無駄にしてちゃいけない、って。だけど、その結果がこれだろ？浩平は何にも悪くない。今更死んだ親父の事で、あいつが振り回されなきゃならない理由なんか何にもないんだ。時間を無駄にさせてるのはあんただろ？あんた達の方だろ！」
「しょ・・・この人は何にも悪くない・・・！」
ためらいながら――
それでも、見るに見かねてか杉崎先生がおばちゃんの前に飛び出した。

「今回の事は全部僕が・・・僕が口を滑らせたばっかりに――」
お兄ちゃんは、うっとおしそうにそんな先生の事を睨み付けた。
「人んちの事に首突っ込みすぎなんだよ、おっさん。まだ結婚した訳でもないんだろ。外からややこしい事して、好き勝手に引っ掻き回して、余計な点数稼ぎするんじゃねーよ」
「・・・」
「所詮は他人じゃねーか。立ち入っていい事と悪い事がある事くらい判るだろ。一応"大人"なんだしさ」
「・・・」
お兄ちゃんの口からは、次々と辛辣な言葉が飛び出して来る。

「今更・・・他人の言葉に動揺なんかするからこんな事になるんだろ。再婚でも何でもすりゃあいいじゃん。今まで通りにすればいい。あんたが智にして来たように」
「・・・だから――やめようって決めたのよ」
おばちゃんが言った。
「あなたが言ったから――あなたが私たちの結婚に反対したから、だからこのままには出来ないと思って！」
「・・・」
「それがあなただったから――智紘が大切にしていたあなたの言うことだったから、だから・・・」
「関係ないだろ」
「・・・」
「今更おれにそんな事言ったって仕方ないだろ！？・・・そんなんで償いのつもりかよ」
「・・・」
「・・・あんたは――ほんとに何にも判ってない」
・・・

お兄ちゃんは、心の底から悔しそうにつぶやいて・・・
「帰れよ」
杉崎先生に向かって言う。
「あんたがいるとますます浩平を混乱させる。帰ってくれ」
「・・・し、しかし――」
「お願い」
祥子おばちゃんが小さく言った。
「拓君の言うとおりよ。これは、私たち家族の問題だから」
「・・・」
「・・・お願い。帰って」
・・・

杉崎先生は、見ていて可哀相になるくらいがっくりと肩を落として部屋を出た。
悪い人じゃないんだ。
おばちゃんのコトがほんとに好きで・・・黙ってみてられない位心配で・・・だから、何とかしてあげたくて・・・

私には判る。
先生の気持ち。人を好きになるってそうだもの。
何かしてあげたい。
自分に出来るコトなら、何でもしてあげたい、って思うけど・・・それが一体何なのか、どうしていいのか判らない。

・・・先生は――エラいよ。

おばちゃんのために、浩平に会いに行ったんだもの。
お兄ちゃんにあんなに言われるまでもなく、突然学校まで尋ねて行って、自分たちの結婚を許してほしい、なんて息子を説得しようと思うほど、おばちゃんの決心を大切にしてあげたかったから・・・。
4年という時間をかけて、やっと自分の生き方を探し出そうとしてるおばちゃんを支えてあげたかったから・・・。

・・・
「もしも――」
先生が行ってしまってから――
ややあってお兄ちゃんが口を開いた。
「もしも智がここにいたら、浩平に全てを話したと思う・・・？」
その声は、祥子おばちゃんに向けて投げられていた。
おばちゃんは、静かに目を上げた。

「おれは、あいつなら絶対に何も言わなかったと思う」
「・・・」
「智は・・・誰より浩平のコトを心配してた。自分のせいで、あいつがしんどい思いをしているのも知ってたし、だからって智には"いい子"をやめるコトも出来なかった。だから、浩平が自分に負けたくなくて・・・兄キだから、っていうだけじゃない競争心を持ってるコトも、ずっと前から感じてた。浩平にとって、あいつは手が届きそうで届かないギリギリのとこにいつもいて・・・そういう存在でなくちゃダメだったんだ」
「・・・」
「――あんたは、知ってた？」
・・・

「浩平にとって、智がどういう存在だったかなんて考えたコトがあったかよ」
「私は――」
おばちゃんは、ゆっくり言葉を選ぶ。
「私は、浩平がここに来たら何もかも全部話すつもりよ」
「・・・」
「だって――智紘が向き合って来た事なんだもの。浩平に出来ない訳ないじゃない」
「勝手な期待してるんじゃねーよ」
「・・・」
「浩平が全てを知るっていうのがどういう事か判ってんのか。智には勝てない、って――自分が知りもしなかった現実を抱えたまま勝ち逃げされて――ただでさえかなわない、って思ってた兄貴の存在をダメ押しされるって事なんだぞ！」
「・・・」

「浩平にとっての智紘は、おれ達とは全然違ってるんだよ！誰よりも・・・何よりも目標にして来た兄貴だったんだ。全部話して、それで終わりになるワケないんだよ！」
「だからって――ウソはつけないでしょ」
おばちゃんは、まっすぐにお兄ちゃんを見つめて言葉を返す。
「全てを知るために・・・浩平はここに来るんだもの」
「そんなにあいつに背負わせたいのか！大人の勝手で！あいつらには何の関係もなかった事を、これ以上重荷にさせていいのかよ！」
「・・・」
「そんなの・・・あんたが楽になりたいだけじゃん。何もかもを吐き出して、少しでも自分の罪の意識を軽くさせたいだけだろ？」
「・・・拓君」
「智は――誰にも話せなかった。絶対話せないって思ってた。・・・知りたいから知らせる？ふざけんな。知りたいワケがねーだろ。知りたいから来るんじゃない、否定してほしくて来るんだよ。そんなのウソだって・・・言ってほしくて来るんだよ！」

――その時。
私は、はっとした。

「あんただって――結局自分の事しか考えてない！智がどうして・・・何のためにあんたに何も言わずにいたか、本当に考えた事があんのかよ！」
・・・

――玄関で、何かの音が聞こえた気がした。
確かじゃない。確かじゃないけど、鍵が開いて戸が開く音。
そして・・・

私たちがいるリビングの向こう。玄関へと続く廊下に繋がるガラス扉を振り返る。
そこが勢いよく開いた次の瞬間。
浩平がそこに立っていた。
半袖の、校章入りのワイシャツにネクタイ姿。
正に今、学校から来ましたっ！って感じのその格好。
・・・

浩平は大きく息を切らして、一通り私たちを見回した。
駅から走って来たんだろう、一筋流れた汗を拭いもせずに、浩平は呼吸を整えながらおばちゃんに言った。
「電話じゃ・・・埒があかないと思ったから来ちゃったぜ。どうしても・・・あんたに訊いておきたい話があって」
――
私の胸で、大きくひとつ鼓動が鳴った。
・・・

・・・To be continued.

　　　　