syncro4-4

おばちゃんは、つかつかっ、と浩平の前に歩いて行くと、そのほっぺたをぱちんっ！と一つ平手ではたいた。
・・・

全くの――
突然の出来事に、私はもちろんぶたれた浩平自身もあっけにとられておばちゃんを見た。

「いっ・・・てーなっ！何すんだよっ！」
「それはこっちの台詞でしょっ！」
毅然とおばちゃんは言葉を返した。
「何考えてんのっ！突然学校飛び出したりしてっ！どれだけみんなが心配したと思ってるの！自分が何したか判ってるのっ！？」
「・・・」
「謝んなさい。みんなに。あんたのために、ここにこうして来てくれたみんなに！」
「・・・おれは――」
きゅっ、と唇を噛みしめて、浩平はおばちゃんのコトをまっすぐ見据えた。
「おれは、そんなにまだ子供なのかよ」
「・・・」
「判ってるんだろ。おれが何を聴きたくてここに来たのか。知っててまだそうやってごまかす気かよ！」
「・・・」
「おれは帰らないからな！ここでほんとのコトを聴くまでは、絶対に帰らないからなっ！」
浩平は、必死の眼でおばちゃんを見た。

――
『知りたいから来るんじゃない、否定してほしくて来るんだよ。そんなのウソだって・・・違うって・・・言ってほしくて来るんだよ！』

そんな浩平の顔を見ていたら・・・
さっきのお兄ちゃんの言葉は本当かも知れないと私は思った。
半分以上・・・
ううん。もうほぼ確実に。
"それ"が真実なんだって、きっと浩平も感じてる。
けれど・・・
頭のどこかにはそれを拒みたい思いもあって・・・
だから、いても立ってもいられずに・・・
何もかもを覚悟の上でここにこうしてるんだってコト。
夢中で新幹線に飛び乗って、顔を見て・・・真っ正面から問いただしたかったんだってコト。

私は、どうしていいいか判らないまま・・・
一言も何も言えないまま、黙ってそこに突っ立っていた。

「知って・・・どうする？」
静かにお兄ちゃんが浩平に言った。
「今更、全てを知った所で何か変わるコトがあるのかよ」
浩平は、はっとした顔でお兄ちゃんを見た。

「だからって・・・あいつと対等になれるワケじゃないんだぞ」
お兄ちゃんの表情は、いつになく厳しい。
「寧ろ全くの逆かも知れない。おれだって六年もまんまと騙されて、挙げ句の果てに、全てを知っても何も出来ないままあいつは死んで・・・一体、何のためにおれにあんな話をしたんだろう、って考えながらここまで来てさ・・・。今更、考えたって何にもならないって判ってて――それでも考えずにはいられなくって」
「・・・」
「今更全てを知った所で、生まれてくるのは後悔だけだ。智がここにはいない以上、おれ達に出来るコトは何にもない。・・・判るだろ、それくらい」

「でも――」
浩平は言った。
「それでもおれは、智兄を越えたい」
「・・・」
「おれの――気持ちの問題なんだ。今更・・・だって判ってる。でもヤなんだよ。これ以上、智兄においてかれるの」
「・・・」
「一人っきりの兄貴だし・・・ずっと知りたいって思ってた。ほんとは何を考えてここにいたんだろう、って前からずっと気になって・・・このままずっとあいつのコトを、同じ高さで思い出せないのがすっごくイヤで・・・」
浩平は、意を決したようにおばちゃんを見た。
「本当――なんだな、あの先生が言ったコト」

おばちゃんは、黙ってその言葉を受け止めた。
「あんたは・・・おふくろは悔しくないのかよ！ここまで長い間騙されて――それでもまだ親父のコトをかばうのか！？」
「・・・」
「おれ達みんなあいつに騙されていたんだぜ！他に女作って、何食わぬ顔して親父ヅラして――最低じゃんか！そんな最低のヤツだったって、今なら思いっきり言えるのに――何でだよ！どうして黙っているんだよっ！」
「・・・あんたの父親だからよ」
おばちゃんは言った。
「どんなヤツでも、あんたと智紘の父親だった。私一人なら何とでも言える。でも。もしもあの人がいなかったら、あんたも智紘もここにはいなかったんだよ」
「カンケーねぇだろ・・・そんなこと」
「・・・」
「じゃあ――もしも・・・もしもおれ達がここにいなかったら、おふくろはあいつと別れてたのか。おれ達がいたから、あいつと別れられなかったのか！」
「・・・浩平」
「・・・智兄はバカだ」
「・・・」
「何を一人でがんばって・・・そんなバカ親父のためにがんばって――子供が親の代わりになんて絶対なれっこないのにさ」

――
判ってあげたい。
心の痛み・・・
悲しみを分かち合いたい。

でも――今の私に何が出来るの？
何をしてあげたらいいの？

浩平の、言葉にならない痛みが伝わってくる。
苦しいくらいに伝わって・・・

「最後まで・・・かばわれてばっかりだ」
「・・・」
「兄貴にも・・・おふくろにも、いつも守られてばっかりで・・・なのに――おれってば、そんなコト何にも気づかなくって・・・脳天気に自分のコトで一生懸命で・・・」
「そんなお前がいたから、智はがんばれたんじゃないのか」
お兄ちゃんが隣りから言った。
「守りたいって・・・お前のコトだけは守りたいって思ったから・・・そこまでがんばることが出来たんじゃないのか」
「・・・」
「智にとっては、お前はたった一人の弟だったんだしさ」

――不意に。
浩平の目から涙がこぼれた。

「・・・汚ねぇよ」
「・・・」
「どいつもこいつも・・・おれにはどうにも出来ない場所で・・・勝ち逃げじゃん。これじゃあ、どんなにがんばっても追いつけないじゃん」
・・・

私より――20㎝は高くなった浩平の背。二周りも大きくなった掌。
それでも、そこで泣いている浩平は、あの4人でいた頃の・・・
幼いまんまの浩平だった。
「ちくしょう・・・」
・・・

――
『浩平はね、智紘を超えたいの』
・・・

いつでも――
誰が見ても――
完璧な兄貴だった智兄ちゃん。
私のコトだって、本当の妹みたいにいつも大切にしてくれた。
中学生に絡まれて、助けに来た筈の浩平がめちゃくちゃにヤラれて、智兄ちゃんにおんぶされて帰った日のことも昨日のように覚えてる。

――試してみたいんだ。自分がどこまでやれるのか。

・・・
強くなりたい。
智兄よりも・・・
強くなりたい。おれはおれのやり方で。
初めて掴んだインターハイ。自分のやり方でまた一つ、自分の居場所を確かなものに出来ると信じた。
けど、それさえも――
自分の知らない、どうにも出来ない所で守られていたからこそだと判った。
やっと越えられる――。
浩平なりに智兄ちゃんの存在を・・・
そして、死を・・・
越えて行けると思ってたのに。
・・・

――
どの位の時間が経ったのか。
浩平は手の甲で涙を拭った。
慌てて私がハンドタオルを手渡すと、サンキュ、と言って力無く笑った。
「・・・ごめんな」
私は、一瞬どきりとした。
頼りなく・・・小さい浩平の声。
今まで聴いたコトのないくらい、はかなく感じたその瞳（め）の光。
・・・

「お前にも・・・余計な気ィ使わせちゃったな。ほんとは話したくても・・・話せないでいたんだろ。こないだの電話の時も、ほんとは全部知ってたんだろ・・・？」
「・・・」
「今更・・・だったよな。ほんとに今更お前まで、こんな知りたくもない話聞かされて・・・ヤな思いして・・・」
「・・・」
「ごめんな」
私は、大きく何度も首を振った。

ヤな思いなんてしていない。
浩平が智兄ちゃんの本当を知りたい、って思ったのと同じに私だってそう思ってた。
智兄ちゃんの本当のコト。
ほんとは何を考えて、ここにいたんだろってコト。
「・・・拓さんも・・・ごめん」
「謝るな」
私に代わって、お兄ちゃんが答えてくれた。
「お前も智も、悪い事なんか何にもない。ただ・・・。もしもここにあいつがいたら、絶対お前には何も話さなかっただろうな、って思ってさ」
「・・・」

・・・
決して多くはないおじちゃんとの思い出を、今まで浩平は浩平なりに大切にして来たと思う。
そんな自分は何だったんだよ、と・・・
智兄ちゃんの・・・おばちゃんの・・・心の中の葛藤も知らずに、そんな思い出を大切にして来た自分は何だったんだよ、と。
そして、ずっと信じてた――
失くなるコトなど考えてもいなかった――家族の崩壊。
その一方で、安穏と自分の世界で日々を過ごして来てしまったコト。
・・・

抱えきれない思いが次々と浩平の頭の中を巡っているのに違いない。
そんな浩平に、今の私がしてあげられるせめてものコト。
精一杯の温かい・・・
おいしいコーヒーを入れてあげるコトくらい。
・・・キッチンへ向かおうとした私を兄キが止めた。
"いいよ。おれがやる"
――小さく一つうなずいて、部屋を出た兄キを見送って・・・
私は、そっと浩平の隣に寄り添った。

「・・・怒ってる？おばちゃんのコト」
小さな声でこのみが訊いた。
こいつらしくない遠慮がちな声。こいつなりに心底おれを気遣ってくれているのがよく判る。
・・・案外――健気なんだよな、こういう所。

おふくろは学校に、おれがここにいる事を電話していた。
今晩はここに泊まって、明日の始発で寮に戻るコトを伝えてもらった。
拓さんが入れてくれたコーヒーを飲んで・・・
おれとこのみは部屋に来た。

・・・智兄と一緒に使っていたおれの部屋。
二段ベッドで間を仕切って・・・一人ずつのスペースとしては、かなり小さなその空間は今もまだ、あの時のまま残されていた。
――
「・・・別に。怒ってねーよ」
「・・・ほんとに？」
「ほんとだよ」
子供みたいに念押しして来る。咄嗟に笑いがこみ上げた。
「カンペキ騙された。怒るどころか・・・完敗だよ」
おふくろだけじゃない、親父にも。
もちろんショックだったには違いない。
自分の親の、よく言えば人間らしさ、悪く言えば生臭さ、それをいきなりつきつけられて・・・
柄にもなく泣いたりして・・・
――あんまりにもこれじゃ情けない・・・。

「・・・そんなカオすんなよ。もう大丈夫だから」
「そういう言い方、智兄ちゃんとよく似てる」
「そうかぁ？」
「いくら何でも、たったの30分で立ち直れるワケないもの。当分落ち込んだって当たり前だって思うし・・・私といる時くらい弱み見せなよ」

・・・バーカ。
お前といるから弱みが見せられねーんだろ？
お前がいるから強くなりたかったんだ。
・・・

「始発で・・・帰っちゃうんでしょ？もう少しおばちゃんとは話して行かないの？」
「・・・また来るよ。今会っても質問責めにしそうだし。お袋もせっかく再婚決めたのに、こんなコトで壊れちゃ可哀相だし・・・」
「・・・」
「この期に及んで、後ろを振り返っても何も生まれちゃこねーしさ」
・・・

それは本当にしごく自然に、口をついて出た一言だった。
あの智兄が、拓さんには自分が知ってしまった家族の秘密を打ち明けていた。
そのコト自体が驚きだった。
智兄は本当に、拓さんのコトを信頼していたんだな・・・。
信じていたんだ。こいつになら受け止めてもらえるって。
何かをしてほしかったワケじゃない。
こいつとなら一緒にいられるって・・・
何の不安も心配もせずに、本当の自分を出していられるって。
そういう人がそういう時に自分の傍にいてくれたコト。
どのくらいかの確率で、そういう人と会えたコト。
・・・ふと。
智兄は案外幸せだったんじゃないか、なんて思えてくる。

「ねえ・・・浩平」
このみが言った。
「やっぱり・・・おばちゃんと話した方がいいんじゃないかな」
おれは、そう言ったこのみの顔を見る。
一言一言言葉を選んで、このみは続けた。
「浩平の家族のコトだもん。おばちゃんから浩平に・・・浩平だけに話したいコトもあると思うし・・・」
――

時計は10時を回ってた。
「確かに・・・振り返ってもなんにも生まれて来ないと思う。でも、今振り返っておかないと、後でとっても後悔するかも知れないし・・・」
「・・・」
「お願い。おばちゃんの話、聴いてあげて」
・・・

おふくろが――
親父の不倫を知っていて・・・
10年近くも知らないフリして来た理由は何となく、おれには判るような気がした。
ああ見えて、あの人は気の弱い人だから・・・きっと怖かったんだと思う。
それまで自分の隣にいた人が、自分から離れてしまっていると認めるコトが。
智兄の、健気な思いを振り切ってまで親父と別れるコトが。

再婚・・・祝ってあげなきゃな。

おふくろも一人で苦しんで来たんだ。
幸せになってもらわないとな。
・・・そうだろ、智兄。

「また来るよ。その時・・・ゆっくり話するよ」
・・・

一体何に――
勝ちたくて・・・
越えたくて・・・
おれは今までやって来たんだろう。
おれはおれでいいんだ、と・・・
おれのやり方でこいつを守ればいいんだ、と・・・判り始めた矢先だったのに。
少しは追いつけるかも知れないと・・・
何かが判り始めた所だったのに、"そいつ"はおれなんかよりもっと大きな、どうしようもない相手と闘っていて・・・
おれなんかてんで眼中になくて・・・
おれだけが、同じ土俵の上に上がっているような気分になって・・・

・・・
誰かを責めているワケじゃない。
ただ・・・判らなくなっていた。

何のために？

一体どうして・・・どうやって・・・
おれはこいつを守ればいいんだ・・・？

このみはずっと、おれにかける言葉を探していた。
何か言おうとしてはためらって・・・そして考えて、困ってる。
それが判っているクセに、おれにはどうしてやるコトも出来ない。
こいつのこんな顔見たくもないのに、そうさせているのはこのおれ自身に違いないのに。
・・・

・・・To be continued.

　　　　　