syncro5-1

Ｓｙｎｃｒｏ　
　　　　～第五章　§1

陸上部の練習は、午前中からだって聞いていた。
ホテルの中で、一人でごはんを食べるのも気が引けて・・・
近くのファーストフードでホットケーキとミルクを頼む。

辺りが一瞬、白く見えてしまうほどの強い日差し。

浩平は・・・
浩平の誕生日は10月だけど、何故かあいつのイメージはこんな風に強い夏の日差し。
ちっちゃい時から毎日外を走り回って、真っ黒になるまで日焼けして。
祥子おばちゃんの洗濯が、間に合わないくらい服を汚して・・・。
『いいよねー、あんたは何の悩みもなさそーで』
・・・なんて。よくまっちゃんとからかったっけ・・・。

そんなあいつだったから・・・今日は、顔を見るのが少しつらい。
会いたくないワケじゃない。
寮じゃ電話も自由には出来ないし、あいつの電話嫌いは今に始まったコトじゃない。
今日は特別顔も見たいし、話もしたい。
でも・・・。

時計は九時を回ったばかり。
昨日、浩平と一緒に乗ったローカル線に乗る。
都内じゃ見るコトもなくなった、どこかかわいいちっちゃな車両。
夏休みに入ったばっかりで、駅前には制服姿はほとんど見ない。
ひっきりなしに降る蝉の声。

昨夜・・・ホテルの部屋からお母さんに電話をした。
浩平が、インターハイに出られなくなってしまったって伝えると、さすがにお母さんは驚いて・・・
でもすぐに、いつもの調子で答えてくれた。
「・・・で？このみはどうしたい？」
――――

「私・・・しばらくここにいてもいい？」
「しばらく、って・・・？」
「浩平のこと、決着つくまで」
「・・・」
「インターハイが終わるまで、って約束だったけど・・・それより長くなるかも知れない。だけど・・・お母さんに心配かけるようなコト、私絶対しないから」
「別に心配なんてしてないわよ」
「・・・じゃあ――」
「好きにしなさい。このみの納得の行くように。お父さんには、お母さんから話しとくね。ただ・・・」
言葉を濁したお母さんの言いたい事はすぐに判った。

お兄ちゃんは、祥子おばちゃんを許していない。
智兄ちゃんの思いを知ってて、何もしようとしなかったって・・・
自分には知り得なかった智兄ちゃんの"真実"を、ただ一人知っていたコトを・・・
お兄ちゃんは責めて、悔やんでる。

でも・・・
私たちには判ってる。
お兄ちゃんが、許せずにいるのは自分自身。
おばちゃんにぶつける言葉も、抱いてる思いも・・・それは全部、自分に向けてぶつけてるもの。

あれから四年がたったというのに・・・そのコトだけは変わらない。
このままでいいなんて、きっと誰も思っていない。
だけど、どうしたらいいのか判らないんだ。
お兄ちゃんのつらさが判るから、どうしたらいいのか判らない。
今の浩平とおんなじに・・・。

「私・・・話すよ、お兄ちゃんに」
「・・・」
「また・・・怒っちゃうかも知れないけど、ウソついたって仕方ないもん。浩平の出ないインターハイを見せるワケにも行かないし。それに――これからはお兄ちゃんには、何でも話してあげなきゃいけないと思うの」
「・・・」
「傷つけるコトになっても・・・私たちはそういうの、全部ひっくるめてかなきゃいけない気がする。みんなで一緒に」
電話の向こうで、お母さんが笑ってくれたような気がした。

「あんたが一人で抱える必要はないんだからね。心配な事があったら、いつでも電話するのよ」
祥子おばちゃんにも伝えておいてもらう約束をして、電話を切った。
・・・

私たち・・・いつまで、こんなコトを繰り返すんだろう。
前に進んだって思ってた。
みんなそれぞれにやりたいコトを見つけかけて、一歩踏み出したと思ってた。
・・・

『忘れるとかそういうんじゃない、もう一度、ちゃんと智兄にさよなら、って――ありがとう、って伝えるんだよ。そうしなきゃおれ達、これからもずっとあいつの思い出に、縛られてるだけになっちまう』

そう言ってくれたのは浩平だった。
ありがとうって伝えたい。
さよならも、ちゃんと言ってあげたい。
なのに何かが・・・ひっかかる。
こんな形で過去に縛られているコトが智兄ちゃんの望みだったとは思えない。
判っているけど・・・
それは見えない壁みたいに、私たちの前に確かにあって――
何か始めようってする度に、目の前にいつも立ちはだかる。

三村さんは・・・？
大切な人を病気で亡くした・・・あの人には、こんなコトはないのかな。
思い出が詰まりすぎるくらいにたくさん詰まった、形見の水彩画を眺めても・・・
苦しくなるコトはないのかな・・・。

忘れたいワケじゃない。
大好きな智兄ちゃんのこと。
いつまでもいつまでも大好きでいたい。
こんな風に思うのは、心が弱い証拠なの？
乗り越えなくちゃ行けないの？
時間を前に進めるために・・・
壁を壊して――
強くならなきゃいけないの・・・？

窓の向こう。流れていく電信柱がゆっくり止まる。
次の駅に着いたみたいだ。
扉が開いて、乗って来た女の子には見覚えがあった。
浩平が着ているのとおんなじ校章のついた半袖のシャツ。モスグリーンのチェックのスカート。
陸上部のマネージャー、榎本さんだ。
・・・

「・・・」
私に気づいて――榎本さんは黙って隣に腰掛けた。
浩平がインターハイに出られなくなったコト・・・
当然この人も知ってるんだ・・・よね。

――
「私、あきらめないからね」
きゅっと、と縛ったポニーテールが小さく揺れる。
凛とした声は、私の方なんか見ないまま続けて言った。
「絶対、辞めさせたりなんかしないから」
「・・・」
電車はまだ動かない。
私は、体を固くした。

「ねえ」
榎本さんが呼びかける。
「あんたは一体どうしたいワケ？」
「え・・・？」
「彼にここにいてほしいワケ？一緒に帰ってほしいワケ？」
「・・・」
まっすぐな言葉が突き刺さる。

「過去に何があったか知らないけど・・・そのためにあれだけの才能をあきらめちゃうなんて、私には絶対信じられない」
「・・・」
「彼が走るとこ、見て育って来たんでしょ？判るよね、私の言ってる事。何年に一度の逸材かもって、言われてるのだって知ってるよね？」
発車のベルが鳴る。

イヤでも気持ちを急かす音。
早く早く・・・
いつまでもゆっくりしてると電車は行ってしまいますよ、って・・・
判ってるけど――
急がなきゃいけないのは判ってるけど――！！

「一番辛いのは浩平だもの」
「・・・」
「走るために来たんだよ。ずっとあいつの夢だった、インターハイに出て勝つためにって。それがダメになっちゃって・・・それも自分のせいでダメになっちゃって、一番悔しいのはあいつ自身だよ」
「『自分のせいで』じゃないでしょ」
「・・・」
「あんた達のせいじゃない」
「えっ？」
「彼が勝手に家に戻っちゃったのは――そんなコトをさせたのは、一体誰のせいなのよ。過去がそんなに大切なコト？」
電車が動く。
体が揺れる。
私は榎本さんを見た。

「大切な大会に出られなくなったっていうのに、あいつってば怒るでもない、抗議するでもない。一体誰のせいなのよ？」
「・・・」
「・・・言っておくけど森山君、インターハイに出られなくなって悔しいなんて全然思ってないからね」
「うそ」
「うそじゃないわよ。逃げてるだけだもの。こんな自分が出場したって、誰にも勝てるワケないって。過去の人たちに囲まれて、現実でない世界で慰めてもらって。そっちの方が居心地がいいって、勘違いしてるだけなのよ」
「過去の、人たち・・・？」
「あんたも含めてよ」
「・・・」
「一緒にいた時間が長いからって、何でも知ってると思ったら大間違いなんだから！」

頭の中で何かが切れた。
「そんな言い方――！」
思わず大きくなった声に、出勤途中のサラリーマン風の何人かが私たちを見る。
咄嗟に声を小さく絞る。
「逃げちゃいけないの？！」
「・・・」
「誰だってあるでしょ、それくらい。弱みも甘えも出してもいい場所、辛い時に逃げてもいい場所、それがあっちゃいけないの？！」
「あいつには、そんな自覚ないもの」
「・・・」
「ずっとそうやって過ごして来たんでしょ。お互いの事情を知ってる人が、お互いの傷を慰め合って。居心地がいいのは当たり前。だけど森山君は、それをそうとは感じてないもの」
「・・・」
榎本さんは、大きくため息を吐き出した。
「あんた達、揃いも揃って・・・ほんっと重傷」

言い返したい。
ここまで言われて――言葉を探せない自分が悔しい。

前に進むって約束した。
智兄ちゃんの思い出と、もう一度しっかり向き合おうって言ってくれたのは浩平だった。
だけど・・・
向き合うってどういうコト？
乗り越えるのとは違うコト？
私が一緒にいるコトで、あいつが過去から抜け出せないでいるのだとしたら・・・
私はもう浩平と、一緒にいてはいけないってコト？

・・・混乱して来た。
何だかすごく――落ち込んで来た。

会いたい。
浩平に会いたい。
でも・・・それは、あいつを過去に縛るコト？
私はあいつに、どうしてほしいの・・・？

榎本さんはそれ以上、何も言おうとはしなかった。
仮に言われたとしても・・・
たぶん私の頭の中にはそれ以上、残らなかったと思うけど。
――――

・・・To be contenued.

　　　　　