syncro5-8

　　　　　　　　　　　　　　　　　Ｓｙｎｃｒｏ　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　～第五章　§8

レンタサイクルを二台連ねて走り出す。

日差しは文句なしの真夏の光。通りに出るなり、蝉の声が耳に飛び込む。

せめてもの救いは、こうして風を切って走った時の何とも言えない爽快感。

浩平と二人で自転車を転がすのなんて……一体どのくらいぶりだろう。

高校はバス通、中学は歩いてすぐのとこだった。

もしかしたら小学校……ううん。それよりもっと前かも知れない。

大通りを避け、裏道へと入ってく。極端な坂もカーブもない、緑の多い小道が続く。

百日紅のピンクの小花が、太陽を受けて揺れている。

浩平のいる寮へ向かっているんだと気が付いたのは、例の黄色い電車と並んだ時。

「何処へ行くのよ！」

「いいからいいから」

そんなやりとりを交わしてほどなく。視界の開けたその先に、浩平たちの通う相模高校の校舎が見えた。

……まさか、学校に戻るつもり？

心配をよそに浩平は、あっさり前を走りすぎた。

ひとつ……

ふたつ……

角を曲がった更に先――

「おれが来年、通うことになるかも知れないとこ」

「……」

「一応お前には、見といてもらってもいいかと思って」

浩平は、大きく開かれたその正門前で自転車を止めた。

白亜の建物。

“SAGAMI　UNIVERＳITY”

門柱に書かれた大きな文字。学部ごとに並んでいる掲示板。

バイクはもとより自動車までもが、構内を普通に往来してる。

夏休み中で人影こそまばらだったけど……微かに聞こえる笑いさざめく人の声。

お兄ちゃんの学校の学園祭に出かけたこともあったから……

大学、という場所の空気を知るのは、これが初めてというわけじゃなかった。

けれど、やっぱり何かが違う。

『おれが来年、通うことになるかも知れないとこ』

身近なような――

とんでもなく遠く感じる場所のような――

浩平は自転車を降りると、押しながらスタスタ入ってく。

「……来たことあるの？」

「インターハイが始まる前にな。コーチの浅岡さんって、ここの院生なんだよ」

「ふーん……」

「おれ達の走りをビデオで撮って、基礎トレのメニューとかもここのコンピューターが、ぜーんぶ作ってくれたりするんだぜ」

浩平はうんざりした顔をした。

「でも……それのお陰で、あんなにすごい結果が残せたんだからよかったじゃない」

浩平は、はたと私の顔を見た。

「……お前、マジでそう思ってる？」

「……？なんで？」

「……」

浩平は、言い出そうかと迷うみたいに、ふっと一瞬言葉を切った。

「雅巳と――勝負した時さ」

「うん……」

「勝ちたくて……どうしてもあいつに負けたくなくて……まあ、結果としては負けたんだけど、必死に走っていた時に……おれ、一瞬だけど、智兄のことが頭の中から消えたんだよ」

「……」

「いつも、おれの相手は智兄だった。もしもあいつが生きてたら、これでどうだっ！って胸張って、威張れる結果を出したくて、それだけでずっと走ってたんだ。相手なんて誰でもよかった。記録だってどうでもよかった。もしも兄貴が生きてたら――今のおれを見てなんて言っただろう、それだけをずっと考えて来た。……ほんとにずっと……そうだったんだ」

「……」

「だから……ゴールに入った瞬間、自分でも信じられなかった。智兄よりも、雅巳に勝ちたいと思った自分がいたこと。誰よりも……あいつに勝ちたいと思ったこと。――悔しいけど……おれはあの時、確かに雅巳に勝ちたかったんだ。智兄じゃなく」

「……」

「それでもお前、『よかったね』っておれに言う？」

蝉の声が、じんじん頭の芯に響いてた。

浩平は、まっすぐ私を見てる。

大切なこと――

大事な何かを言う時に、こいつはいつもこんな顔をする。

「……私」

「……」

「……私はまだ、浩平みたいにやりたいことも見つからないし……智兄ちゃんを忘れられるほど、一生懸命になれる何かと出会えてもない。だから……浩平の言う事は判るけど、それでいいとか――いけないのかとか――正直言ってよく判らない……」

「……」

「でも――でもさ。萩原君と走った時もこの間のインターハイも、確かに浩平は速かったよ。今までにないくらいすごいな、って思ったし……かっこいいって思ったよ」

「ばっ……」

浩平の顔が赤くなる。

「人が真面目に話してんのに……おちょくってんじゃねーよ！」

「だってほんとにそう思ったんだもん！浩平は――やっぱりそうやって、上を見上げてるのがいいんだよ」

ちっちゃい時からそうだった。

兄キたちの持ってるものがほしくって……一生懸命上を見上げて……手を伸ばしていたじゃない。

それと何にも変わらない。

浩平は、何にも変わってなんかない。

だからやっぱり……よかったね。

それでいいんだとその時思う。

ケリも――

決着も――

そう簡単につくわけがない。

先に進んでいくために大切なものを忘れてかなきゃいけないんだとしたら、きっと私達は前には行けない。

忘れられない。

忘れられるわけがない。

人が、そんなに簡単に変わっていける筈がない。

持って行くんだ。

一緒に行くんだ。

何処までも一緒に連れて行くんだ。

だって……

それくらい、ずっと近くにいたんだもんね。

これだけ時間がたっても、こんなに思い出せるほど……

私たち、近くにいたんだから――。

「……上、ねぇ」

浩平が言った。

「なんかそれって、進歩してねーじゃん、ってイミにもとれる」

「どうしてよ！」

「同じ上でも、ちゃんとレベルアップはしてるんだからな。そこんとこ、ちゃんと押さえておくように」

何の迷いも、ためらいもなく。声を立てて私達は笑った。

――別れ際。

浩平は私に一枚のメモ紙をよこした。

そこに書かれたメールアドレス。

浩平はおしりのポケットから、真新しい携帯電話を取り出した。

「メールって、外国に行っても出来るんだろ……？」

待ち合わせの時、萩原君と買って来たものってこれだったんだ……。

それにしても。

「浩平がケータイ買ったなんて、向こうのみんなが聞いたらぶっ飛んじゃうね！」

「ばか！絶対言うんじゃねーぞ！アドレスもやたら教えたりすんなよ！」

「わかってるよ」

私のと、お兄ちゃんのメルアドを浩平のケータイに入れてやる。

「ちゃんと返事、来るんでしょーね」

「お前こそな」

浩平が何を思って、突然ケータイを買ったりしたのかは敢えて訊かないことにした。

もう何日かしたら、浩平と萩原君は他の選抜メンバーと一緒にドイツの空の下にいる。

秋の国体にあわせて帰国する予定になっていた。

智兄ちゃんとおじちゃんの五回目の命日には、浩平も家に帰るって約束をした。

慶良間にいるお兄ちゃんも、その日はいったん帰って来るって言ってたし……

今年はやっとみんなが揃う。

楽しみに待っててよ、智兄ちゃん――。

東京へ向かう新幹線。ケータイの音が小さく鳴った。

浩平からの初メール。

これから練習に行くところかな。

見送りの後、寮に戻って……萩原君にからかわれながら、これを打っているのかな。

「ちょっと。何ニヤニヤしてんのよ」

「なっ……なんでもないよ！お兄ちゃんからのメールだった」

「えっ？！マジ？私にも見せて！」

「あっ！いや……その――ごめん！今うっかり消しちゃった！」

「えーーっ？！」

まっちゃん、ごめんっ！

鋭い追求を逃れつつ……

私はこっそり、そのメールを”保存”した。

……

＜第五章　了＞