背中に伝わる鈍い重みで目を覚ました。

何かが――

うつぶせに寝かされているその背後から、覆いかぶさるように乗っかっていた。

頬の下には清潔な木綿のシーツが広がっている。

耳元に感じる吐息が熱い。力任せに肩を掴まれ、首筋に歯を立てられた。

鋭い痛みに、思わず一瞬息が止まった。

この･･･感じには覚えがあった。

薄暗い明かりの中に目を凝らす。

見覚えのある部屋のレイアウト。コロンの匂いとそこに混じったほのかな体臭、肩を掴む大きな掌の感じから、それがナルちゃんなんだとやがて気付いた。

頭の芯が痺れてる。

身体に力が入らない訳も、ベッド脇のテーブルに置いてあるウイスキーのせいだと理解した。

でも･･･

何で･･･

どうしておれはここにいるんだ･･･？

ここは、間違いなくナルちゃんの部屋で――

そこに転がされている、ほとんど空のバーボンボトルを見る限り、おれ達は既に相当の時間をここで過ごして、こうなっているっていう訳で･･･

しかも酒量はいつもの倍、いや、きっとそれ以上。

彼はまだしも、おれはワイン以外の洋酒は好きじゃない。飲むと決まって悪酔いしたし･･･とにかく、いい思い出があまりない。

ナルちゃんもそれはよく知っている。だから二人の時はバーボンなんて、飲む事はまずなかったし･･･

なのに･･･

おれには、ここに来た時の記憶が残っていない。

どうやって、いつからここにいたのかさえ覚えていない。

それくらい酔っ払ってるって事なのか･･･

だとしても、酔う以前の記憶がないなんて･･･今まで経験したこともない。

混乱している意識にはお構いなしに、不意にナルちゃんの唇が言葉を塞いだ。

「なっ･･･」

咄嗟に彼の名前を叫んでた。

それだって、言葉などというものにはなってない。身体に全然力が入らないのに、舌が意思に従がって動いてくれる筈がない。もしも相手が物好きだったら、歓喜の声と受け取られたのに違いない。

この日の彼は、別人の様に乱暴だった。

こちらの意思なんかはお構いなしに、無理やり舌を押し込んで来る。かろうじて残されていた呼吸のための僅かな空気の通り道さえ、瞬間完全に塞がれてしまう。

着ていた全てが次々と、剥ぎ取られるように脱がされる。

それは、いつもの彼からは感じた事のない衝動だった。

血走った目。荒い息。

正気を失っているんじゃないかと本気で思う。

バディとして潜っている時は、これほど頼もしいものはないと思える二本の腕に物凄い力で掴まえられて、動けない。

圧倒的な力の前にねじ伏せられて･･･つぶされる感じ――。

空気を求めて、必死に首を巡らした。

やっとの思いで息を吸い込む。その瞬間に、間髪入れずいきなり挿入。

あっという間に意識が飛んだ。

声にならない声、叫びにならない叫びをあげて、それでもそこから逃れる事も出来ないままにひたすら苦痛に曝される。

汗ばむ体に、無抵抗で抱きしめられながら――

せめて･･･

せめてもの救いを求めるように、記憶の糸を手繰ろうとした。

･･･思い出せない。どうしても。

いつ――おれはここへ来て･･･どうしてここにいるのかが。

どうして彼がこんな形でおれの事――

下半身は両手でがっちりと抱えられて、びくとも自力で動かせない。

痛みの閾値などとっくに飛んで、すさまじい苦痛に絡め取られる。

緩慢な責め。内臓が引き出されるような異物感。

次第に激しさを増して来る彼の腰の動きに突き上げられているうちに、やがて苦痛は痺れに変わった。

こんな声――

漏らすまいと思っても、自然と口からもれるその声は、もはや悲鳴ではなくなっていた。

理性ある「ヒト」など、微塵も存在しなくなっている。

苦痛なのに。こんなにも――。

何を疑う余地もないほど、とてつもない苦痛の筈なのに――

意識を殺す。殺そうとする。

残された意思はそれしかなかった。

何故･･･？

どうして･･･？

切断し切れない隅の意識は、まだ愚問を繰り返す。まるで壊れた機械みたいだ。

逃げられない。判っているのに。

「自分」という存在が、相手の性欲を受けるだけのただの「器」になりさがろうとしてるのに――この現実からは逃げられない。

蹂躙されてる。

犯されている。

なのにただひたすらに、絶頂へ向かって突き上がるのは快感の波。

心が――裂かれる。粉々になって弾け飛ぶ。

『君ダッテ、ホントハ彼ニコウシテモライタカッタンダロウ？アノ･･･イツモ一緒ニイタ同級生ニサ』

――忘れかけていた記憶。

二度と･･･思い出したくない記憶。

『ウソジャナイ。本当ナノヨ』

――遠くによぎる冴子の声。

『何モカモ、絶対ニ失敗ノ出来ナイ計画ダッタ。･･･父ノ会社ノタメニアナタノコトガ必要ダッタノ』

違う･･･。そうじゃない。

『待ってて･･･いいかな。そこで拓を待ってても･･･』

ごめん･･･何も出来なくて――

何も･･･助けてやれなくて――

胸が･･･苦しい。

力任せに身体を仰向けに返される。

足を割られて、再び中へ入れられる。ささやかな抵抗もあえなく砕ける。

獲物の様に･･･食われるだけだ。隅から隅まで、内臓も全てを食いつくされる。

――あの日と同じだ。

何もかも――

窓を叩く風の音。断続的に打ち付ける雨の音。

次に目を開けた時。隣にはいつものナルちゃんが、ひどく心配そうな顔をしてこっちを見ていた。

「･･･大丈夫か？」

･･･大丈夫――も何もない。怒ろうにも声も出ない。

全てを吸い尽くされたみたいに、ぼんやり天井を眺めやる。

ナルちゃんの指が、ナイトテーブルの上の小さな薬を一粒つまんだ。青い･･･ラムネみたいな錠剤だった。

「ちょっと効きすぎだったかな」

「･･･」

「試してみようって、あんまり嬉しそうに言うからさ･･･」

「･･･誰が？」

「何言ってんの、拓がだよ」

「･･･おれが？」

覚えてないの――？

そう言う代わりにナルちゃんは、懐かしい、無邪気な笑顔をこっちへ向けた。

「いつも以上に『ヤってる』って感じがして、すっげーよかった」

「･･･何だ、それ」

「たまにはいいだろ、徹底的に責められるのも。なっ？これ、もう一回だけ試してみない？」

おれは小さく頭を横に振る。

「今すぐじゃないよ、そのうちに。いいじゃんか、なぁ、そのうちにさ」

彼が、おれの智への気持ちに遠慮して、全てに於いていじらしいまでに気を使ってくれているのは知っていた。

そして、そんな彼の思いに応え切れない自分の弱さにも気付いてて･･･

だから――

そういう後ろめたさを、行為で代替しようという思いは否定しないし･･･

気持ちで示せないのなら、せめて身体で、という余りにも低俗な自己表現。そんな形でしか、思いを伝える術を思いつけない稚拙な自分。

それでも傍にいてくれる･･･

いようとしてくれている彼は、素直に好きだと思えたし･･･

でも――それ以上にはなりえない。

もしも･･･

仮にナルちゃんが、あいつみたいに、ある日突然ここからいなくなったとしても、おれはあの時ほどには自分を見失う事はないと思う。

彼には可哀想だけど･･･

彼の事は好きだけど･･･

失くしたくないとは思うけど･･･

智に感じる思いとは、確実にそれは違ってる。

それは･･･彼を蹂躙してる事になるんだろうか。

相手の純粋さを知っていて、応えられないのも判ってて･･･それでも傍にいる事は。

犯されているのは、ほんとは彼の心の方で――

おれは力ずくより遥かに汚いヤリ方で、彼を汚し続けているんだろうか。

「そんなに･･･よかった？」

尋ねると、ナルちゃんはにっこりうなずく。

屈託のない、無邪気な彼にすまない気持ちで一杯になる。

コンナ「存在」デヨカッタラ。好キナヨウニスレバイイ。イクラデモ。ソレガ罰。コイツヘノ。

頭の中で声がする。

彼の手の中の錠剤を、つまんで床へと転がした。

ナルちゃんの口元が微笑んだ。

静かに伸びた両腕が背中を抱き寄せ、組み伏せる。されるがままに唇を吸われ、目を閉じる。

脳裏を過ぎったフラッシュバックも――

その記憶さえ――

今は跡形もなく消えていた。



･･･To be continued.


　　　　　　　　　　　　



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