目の前にある成績表。

閉じて…ため息。

夏休み後半の模擬試験。

評価はことごとく…Dランク。

当然と言えば当然だけど…

前半は、余裕にも友貴君と新作ケーキを作ったりなんかして、浩平も来ていたし、勉強らしい勉強はしてなかったし…

仕方ない。仕方ないよね。

でも…だとしても――

『志望校の再検討を』

無機質な文字が、ずーんと響く。

第一志望は、あいつが推薦を決めたのと同じ大学の二つの学部。

第二志望は…同じ県内の別の大学。

どっちもそれほど遠い目標だとは思ってなかったんだけど…

「ちょっとー。このみってば何なのよ。さっきからため息ばっかりついてるよ」

向かいに座ったまっちゃんが、テーブルのジュースを口元に運んで笑ってる。

外からは、止むことのない蝉の声。

人の気持ちなんか全く他所に(とーぜんか…)、元気良すぎなんだから。

予備校からの帰り道。

ウチでこうしてお茶をするのが、ここ何日か私たちの習慣になっている。

夏休みも、いよいよ終盤。

夏期講習も今日で終わって、三年生の二学期がもうじき始まる。

休み中の三者面談で、浩平と同じ大学を受けるって宣言はした。でも…という思いがないわけじゃない。

私はあいつみたいに、目標を持って行くワケではないし…

仮に、同じ大学に通うコトになったとしても…ここを離れていくコトが、心の何処かでひっかかる。

智兄ちゃんの思い出が詰まったこの場所を、浩平も…兄キも離れて行って――

それは“忘れる”というコトとは違ってるって…

十分知ってる筈なのに。

『智の未来はもうないけれど、拓君には…今も、未来も、もちろんある』

智兄ちゃんは、今でもここに生きている。

浩平が、萩原君に勝ちたい一心で真剣勝負をした時みたいに…

拓兄が、智兄ちゃんの思いを知りたくて、それでダイビングを始めたみたいに…

みんなの新しい一歩のきっかけは、やっぱりここにいる智兄ちゃんだって私は思う。

それじゃあ、私は…？

私にとってのそういう瞬間(とき)って…一体――どんなんなんだろう。

浩平と、決めた筈だった。

無理矢理忘れようと苦しんだり…

縛られて、身動き取れなくなったりするんじゃなくて…

もっと強くて…しなやかな、心の動き。

どうしたら、それを形に出来るんだろう。

「まっちゃんはいいよね。後はもう、目標目指して進むだけなんでしょ」

「そうでもないよ。ランク下げてやっとだもん」

「えっ？彼と同じとこ行くんじゃないの？」

「…あー、ヤメたの、あそこ」

「どうして？私なんかよりよっぽど一生懸命やっていたのに」

「別れた。彼とは」

「ええっ？！」

驚いて――

テーブルの、カルピスのコップを落としそうになった。

まっちゃんは涼しい顔で、お皿のクッキーに手を伸ばす。

「うそっ！別れたって一体どうして？！いつの話よ！」

「う〜ん…一週間くらい前だったかな。丁度森山君も来ていたし…このみには後で話そうって思ってて」

「…ケンカでもしたの？」

「まあ…そんなとこ。大事な時期だってのは判るけどさ、あいつ、全然連絡くれないんだもん。自分のコトで一杯一杯ってカンジでさ」

「そりゃあ…そういう学校の人だもん…。仕方ないよ」

「判ってるけどー、夏休みだっていうのに、数えるくらいしか会ってくれてないんだよ。頭いいのに余裕なさすぎ。ストレス抱えてるのはおんなじなのにさ」

「…」

余裕なさすぎ…。

やっぱり、みんなそうなんだ。

まっちゃんだって、一見のんびりしてるように見えるけど…余裕がないのは彼じゃなく、本当はまっちゃんの方だったりするかも知れない。

ほんのささやかな行き違い。それを普段以上にナイーブに、拒絶と感じてしまうのも判る気がする。

私だって、さっさと進路を決めてしまった浩平に、あんなにイラついたりしたんだもん。

「…ごめんね、相談に乗ってあげられなくて」

「ううん。せっかく森山君が来てたんだし、辛気くさい話しちゃ悪いなって思ったし」

「そんなコトないよ！私だってまっちゃんには、今まで一杯、辛気くさい話しているんだよ」

まっちゃんは、ぷぷっと吹き出した。

「大学入ったら、年上のステキな彼氏を見つけよーっと」

――大学入ったら。

さり気ない言葉が、ちくんと胸に突き刺さる。

「私も…ひとつ下げなきゃダメかな、志望校」

「このみはやればデキるんだから、まだまだがんばればへーきだよ」

「そうかなぁ…」

“冷徹な実績の持ち主”のコンピューター様が『志望校の再検討を』って言ってんだよ？

泣きたくなるよ…。

こんな時。

拓兄がいればなぁ…

憎らしい所もあるけれど、試験前とかさ…結構、頼りにしてたんだ。

兄キのヤマはよく当たるから、クラスのみんなにも評判だった。

まっちゃんの顔がニヤニヤしてる。

「今、拓さんがいればなぁって思ったでしょ」

「えっ？！どっ…どーして？！」

「何だかんだで、このみは大切にされてたからねー。森山君だけじゃなく、お兄ちゃんまでいなくなっちゃって、ますますがっかりしてるんじゃないのぉ」

「そっ…そんなコトないよ」

「この先は、もう当分帰って来ないんでしょ？二人とも」

「うん。第一、帰ってくるような用事もないし…」

冴子さんからはこの間、残暑見舞いの絵ハガキが来た。

兄キとは電話で話をしたコト。

智兄ちゃんの命日に会えなかったワケ。

簡単だけど、気持ちのこもった丁寧な字で書かれてた。

ハガキの写真は…海から覘くクジラのしっぽ。

真っ青な海に、元気よく跳ね上がる水しぶき。力強くしなるザトウクジラの大きなしっぽ。

写真の隅には、並木先生の名前がプリントされてた。

浩平からは、時々思い出したようにメールが来るけど…

２往復以上のやりとりにはまずならないし、拓兄に至っては、ここ10日間は音沙汰ナシだ。

冴子さんのハガキがなかったら、二人が話をしたコトも私は何にも知らないままで…

『おれさ、時々記憶なくしてるみたい』

体調の方はどうなんだろう。

座間味島ではもうそんなコトもなくなって、元気で過ごしてるんだろか。

――神崎さんにも拓の事はくれぐれもって頼まれてるから。

並木先生がそう言ってくれてるんだから。

『ムリはさせない』って約束もしてくれたんだし。きっと大丈夫、なんだよね。

「ねぇねぇ。夏期講習も終わったしさ、明日はおいしーケーキでも食べに行こうよ」

まっちゃんの言うおいしいケーキとは、もちろん友貴君ちの“フリーズキール”のコト。

夏期講習が始まってからは、さすがにケーキ作りの方はお休みさせてもらってた。

そう言えば…

しばらくお店にも出かけてないな…。

友貴君も受験の２文字に遠慮してくれているのか、連絡も来ない。

「…そだね、行ってみよっか。その代わり、午前中は図書館で勉強だよ」

まっちゃんは、がっかりと肩を落としてうなずいた。

･･･To be continued.


　　　　　　　　　　　　　　　　　



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