青い空に白い雲。 そろそろ夏の勢力範囲だ。 こんな日に制服を着るのは、心の底からうっとおしい…。 ―― 一学期が始まってもうすぐ三ヶ月。 今年の梅雨は、毎日ほんとによく降ったなぁ…。 来る日も来る日も、雨雨雨…。 やっとそれも終わりが見えて、待ちに待ってた夏休みまで、もうカウントダウンだってのに…。 トーストに、ミルクたっぷりのカフェ・オ・レ。スクランブルエッグにフルーツサラダ。 "栄養学的理想の朝御飯"を食べながらも、気分はブルー。 不完全燃焼のこんな思いを抱えているのには、それ相応のワケがある。 その一。 まっちゃんと二人で行くはずだったディズニーランドのパレードが、突然の雷雨で中止になった。 その二。 週末は、おかーさんのテニスサークルの合宿で… そんな時だけピーカン天気で、しっかり布団干しまでさせられた。 その三。 あまりの雨続きで、庭のプチトマトが枯れちゃった。 … ほんとに、こんなのもないよな、って思うくらい、ヒサン続きだったんだ。 さらにその四。 今朝もTVから流れてくるあのコマーシャル。 夏物の、新作ファンデと口紅の某化粧品会社のコマーシャル。 … 「ほんときれいよねー、このモデルさん」 おかーさんの、のんびりした声がする。 「今の若い人って、どの人見ても同じように見えるけど、やっぱこの人だけは違うわね。見て、この肌の白いこと」 ―― 毎回毎回… よくもそこまで素直にカンドーできるよね。信じらんないよ、私には。 「ヒロコ、っていうんだっけ？一体、いくつなのかしら。まー、ほんと、スタイルもいいし」 「…」 見たくもないのに視界の端に、強引にそのCM画面は飛び込んできた。 スローなメロディをバックに、スラリとした長身のスレンダーな美女がメイクをしてる。 カラーコンタクトを入れて、髪も染めちゃってるから一見日本人には思えない。 長い手足に細い指。 形のいいその唇にきれいに紅がひかれた瞬間、白い頬を涙が伝う。 一筋、真珠のようにこぼれた涙は、『彼女』の頬の隆起に沿って、静かに流れ、砕け散る。 … わずか30秒たらずのそのCMが、今日本中を騒がせているヒロコ、なるモデル主演のCFなんだ。 この『女性』が、マスコミに騒がれ始めたのは一年前。 同じシリーズの口紅のイメージガールとしてデヴューした。正しくは漢字で紘子、と書くのだとその時知った。 ほうっ…と小さなため息混じりにそのCFに見入ってるおかーさん。 つくづく気の毒になってくる。 その女の正体が、自分の『息子』だってわかった日には、一体どうなっちゃうんだろう …。 当の本人は涼しい顔してその横で、朝刊なんか広げてる。 三歳違いの私の兄キ、織原　拓（ひらく）は、れっきとした生物学的男性だ。 半年前。 CFだけは絶対やめて！って言ったんだ。 動かないグラビアや雑誌の仕事ならいざ知らず、CFは絶対バレるって思った。 いくらメイクやカラコンしたってCFは動くし、撮られる角度もあるし、何て言っても、目立つ！！不特定多数の目に触れる。 それだけはカンベンしてほしかった。 ただでさえ、この兄キは目立つんだ。 単に、キレイ、っていうだけじゃない。ふしぎなオーラを放ってる。 本人だって、そこに気づいていない訳がないんだけれど、こういう人が身近にいるっていう事が、どれだけややこしいことになっちゃうか、そこんところに気づいていない。 ホストクラブ・T'sのバイトも、結局ファンのおねーさま方にせがまれて、あっさり復活しちゃったし、ゲイバーだって左に同じ。 最近は、そこにチラホラとモデルの仕事もやったりしてる。 大学生の、それも三年、っていったらさあ、フツーはもっとやらなきゃいきないコトが、たくさんあるハズなんじゃないのっ？？！ 親に心配をかけたくない、って一点で、私も秘密を共有するにはしたけれど、先月の手取りを聞いたらブッとんだ。 お父さんの月給の○倍ってお金が、毎月こいつの手元に振り込まれてる。 … 電信柱みたいな細身のくせして、スキューバダイビングが趣味の兄キの髪は、染めてもないのにすっかり茶髪。 春休みには見事なまでに日焼けしちゃって、スタッフを大いに困らせていたクセに、今じゃすっかり元の肌色。一体どういうメラニン色素もってるんだか…。 来月にはまた別バージョンのCF、ポスターも作るらしい。 「今度のモチーフは雪女ですって」 向かいの私にこっそりささやく。 思いっきりにらんでやった。 人の気持ちも知らないで… そもそも一本だけ、って筈だった。 私はフツーの高校生で、お父さんだってサラリーマンで、お母さんは専業主婦で…それを今更壊したいとも、壊されたいとも思わない。 第一、これが浩平にばれたら… 幼なじみの兄キが、こんなヘンタイだってバレたりしたら… ―― 「そういえば、浩平のヤツ、こっち来るんだって？」 まるで人の気持ちを見抜いたみたいに、兄キは何気なくそう言った。 わざと答えないで黙っていたら、長い足先が延びてきて、テーブルの下で私のひざをチョンチョンつつく。 「…何よ」 「何よ、じゃないだろ。訊いてるのに」 「お兄ちゃん、この間も同じ事言ったじゃない」 「そうだっけ？」 「とぼけないでよ。寝ボケてんの？！」 「楽しみにしてんだろーなと思ってさ」 兄キは、いたずらっぽく笑ってみせる。 こういう時のこの人は、子供みたいに無邪気に笑う。 さっきTVで泣いていた美女の大人の色香なんか、そこには微塵も感じない。 …つくづく、不思議な兄キなんだよね。 超カルそーに見えるけど、四年も前に死んだ人をじっと心の片隅で、想い続けていたりする。 ―― 「たった三日来るだけよ。春休みもGWも、帰って来なかったんだから」 「帰れなかったんでしょ。ずっと合宿だったんだもの」 言ったのはおかーさんだ。 浩平の家はうちの隣で（マンションだけど）、うちのかーさんと浩平んちのかーさんは仲がいい。 小さな頃から浩平と、三つ違いのその兄貴・智兄ちゃんは、看護婦のおかーさんが夜勤の時はウチで夕飯食べたりしてた。拓兄キと智兄ちゃん、そして私と浩平は、近所でも有名な『仲良し』だったんだ。 四年前。 浩平んちのお父さんと、智兄ちゃんが、あの飛行機事故に遭うまでは。 … 「命日にも来れないなんて言うんだもの、信じらんない」 私は大いに憤慨して、大口でトーストにかみついた。 この四年間。 8月16日の命日に、誰かが欠けるなんて一度もなかった。 みんなして… 智兄ちゃんを思って、話しして… 兄キでさえも一切の仕事を断って、その日だけは、って来てたのに。 浩平は、去年の秋から遠くの学校へ行ってしまった。 小さな頃からかけっこが早くて、中学で全国大会に入賞なんかしたりして、少しずつ…あいつの周りがうるさくなった。 けれど。 それでも。 浩平は浩平のハズだった。 何でも器用にこなしてしまう、優等生の智兄ちゃんがライバルで… 追いつきたくて、追い越したくて、それでもやっぱり大切な兄キで… 浩平は、ずっとここにいるって言ってくれた。 一緒にいるって。 おれだけは、ずっとお前の側にいる、って。 … 去年の秋季大会。 100mで全国一位タイの記録を出したことがきっかけで、浩平は転校を決意した。 ずっと誘ってくれていた、全国屈指の実力を誇る私立の学校に、陸上の特待生として行くことを決めた。 『試してみたいんだ。自分がどこまでやれるのか。』 まっすぐな目をしてそう言ったあいつの事を見ていたら、反対なんて出来なかった。 信じていれば… お互いを、大切に思う気持ちがあれば…大丈夫、だとは思わない？ …そんな風にあいつから、問い掛けられているような気がした…。 判ってる。 私のゆううつの原因は、悔しいけれどそれが一番だってコト。 浩平（あいつ）がいない。 私の時間に… 私たちの大事な時間に、浩平（あいつ）がいない。 それが原因だってコト。 「いつ来んの？」 性懲りもなく、兄キが言う。 「知らない」 「何だ、まだ連絡来ないんか」 のんびりとしたその声に、私は、ガチャン！とマグカップをテーブルに置いた。 「仕方ないでしょっ！手紙も書いたし、電話もしてる！浩平が一方的に何も言って来ないんだからっ！」 … …ああ。 もう、ほんとうにイヤになる。 夏が始まる。 始まってしまう。 智兄ちゃんも…浩平もいない、私の夏が始まってしまう。 思わずこぼれるため息ひとつ。 まだ半分も食べていないトーストを前に、私はイスを引いて立ち上がった。 ・・・To be continued. 　　　　　←Back　　Home　　Next→ copyright （C） twin All rights reserved.