Ｓｙｎｃｒｏ　〜第一章　§2　　　　　　　
「おはよ、このみ」
校門まで100m程のキョリにあるバス停に降りると、いつものようにまっちゃんの笑顔が迎えてくれた。
三年生になってからも、まっちゃんとは同じクラスになれた。
私の一番の親友なんだ。
「おはよ。まっちゃん」
「ね、ね、あれ。もらってきてくれた?」

ワクワク顔のまっちゃんをうんざり見やって、私は制服のポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは夕べのうちに兄キにもらっておいた、あの口紅だ。

「わー、サンキュ！」
「サインは後で渡すから」
「感謝感謝。…あれ？でもここに、もうサイン書いてくれてるよ」
「え…？」
口紅の入った箱には黒のマジックで、ヒロコのサインが書かれてる。ハートのマークなんか入っちゃって、その筆跡ときたら100%プロのそれ。

「…ったく、調子乗りすぎだよ。あいつ」
「いいじゃん。キレイなんだから」
「よくないっ！」
まっちゃんはヒロコ＝私の兄キだって知っている数少ない人たちの一人。
私の立場を察して、しっかり秘密を守ってくれてはいるんだけど…
かなりのミーハーなんだよねー。

一度だけ頼み込まれて、T'sに連れていったのが失敗だった。
以来すっかり兄キのファンになっちゃって、しかもその後すぐにヒロコがCMに出たりしたもんだから、自称ファンクラブ会員No.1なんだ。

「うれしいっ！ありがとね、このみ」
「こんなもんで…そんなに嬉しそうにしないでよー」
「何言ってんの。人気急上昇中なんだよ。今月号のILLE、見た？特集だよ、特集！まさしく旬の人、ってヤツよ」
…

その話なら聞いている。
８ページのカラーグラビア。
その撮影に三日もかかって、さすがの兄キもぐったりして帰ってきたんだ。
うわさでは、何とか、って超有名デザイナーの来年の春コレにモデルとして起用されるんじゃ、なんて言われてる。女性ファッション誌の、専属モデルにって話もあるとか…。

「日曜日、遊びに行ってもいい？」
「いいけど…たぶんいないよ。仕事だって」
「そっか。さすがに最近は忙しそうだね」
「本業は一体何なのか、自分でも判んなくなってんじゃないの」
まっちゃんは口紅を大切そうにカバンに入れた。


まっちゃんには、この春休みに彼氏が出来た。
予備校の春期講習で知り合った、隣の街の男のコ。
彼は、有名な進学校に通ってるんだけど、すっごく性格いい人で、まっちゃんにはお似合いだって私も思う。週末は毎週のように会ってるし、夕方には待ち合わせして一緒に予備校に行ったりしてる。
そんなこともあったりで、この口紅は私からのささやかなプレゼント。
彼氏のために一生懸命なまっちゃんは、キラキラしててとってもカワイイ。
そしてちょっぴり…
そんなまっちゃんが、うらやましくもあったりしてる。
…

「そう言えば、森山君からは連絡あった？」
「ぜーんぜん。困ったヤツだよ。ったく」
「春休み中だって、ずっと合宿ってワケでもなかっただろうにね」
「ほとんどそれに近い状態だったらしいけど…。でも、本人さえその気になれば、一日だって半日だって、何とか出来そうな気もするんだけどさ」
「泣かない泣かない。もともと森山君ってさっぱりしてるし、今更ちょっと会えないからって、どーにかなっちゃうような仲じゃないっしょ？君達は」

かれこれ15年以上になろうとしてる私たちの腐れ縁を、まっちゃんは、そんな風に過大評価してみせる。

一緒にいるのが当然のように思ってて、それがまさかこんな急に変わっちゃうなんて、全然考えてもいなかった…。

――
ほんとはずっと一緒にいたい。
…だから離れちゃうのがこんなに怖い。
あいつのいない時間が、こんなに淋しい。
あいつが聞いたら…
ばっかじゃねーの、って笑われちゃうと思うけど。

明日も…そしてこれからも…ずっと続くって信じてた、そんな事さえ考えてもみなかった毎日が、ある日全くの突然に無くなる怖さを私は知ってる。
大好きだった智兄ちゃん。
もう二度と、あの優しさに触れることはかなわない。
…判ってる。
もう四年も前のこと。
私も、浩平も…そして拓兄キも、現実なんだって受け入れなくっちゃいけない事。
…だけど。

──
「おっはよーございます！」
不意に上から降ってきた明るい声にハッとした。
歩道橋の上からこっちに向かって、ウチの制服を着た男のコが手を振っている。
まっちゃんが、意味ありに私に笑ってみせる。
「…毎日毎日ご熱心な事で」
「まーたそういう言い方をする」
「だってさー」

まるで陽なたの向日葵みたいな明るい笑顔。
まだ中学生っぽさの抜けきらない人なつっこさは、初対面の時から、私の緊張をほぐしてくれたっけ。
会田友貴クンは、私が入ってるお菓子クラブの一年生なんだ。
お菓子クラブ、なんて言うよりは同好会、って言った方がいいくらい。部員は私と彼の他にもう一人、一年生の女の子がいる総勢三人のミニミニクラブで、この四月に私が作った。

事の始まりは、去年の秋の文化祭。
うちのクラスは出し物として喫茶店をやって、そこの目玉商品に私がオリジナルのオレンジケーキを提供したんだけど、たまたま学校見学も兼ねて遊びに来ていた友貴君が、それをえらく気に入ってくれて
…

「先輩！僕、絶対来年入学します。そしたら一緒にケーキ作りましょう！」
人目もはばからず力説してくれたんだ。
そして春。
約束通り、彼はウチに入学してきた。
そしてお菓子クラブの結成へ、と相成ったんだけど、何を隠そう彼の家は、正真正銘のプロのケーキ屋さんだったんだ。それも駅前にある、この街で一番おいしい”フリーズキール”というお店の。
そこのケーキのおいしさは、三村さんの折り紙付きで（三村さんっていう人は、銀座でビストロをやってるちょっとステキなおじさまなんだけど…）、友貴君は、そこのケーキ屋さんの跡取り息子だったんだ。

お菓子クラブの活動目的は、おいしいお菓子を作るだけじゃなく、食べにも行く。
幸い私の周りには、三村さんを始め食べる事の情報源はいくらでもある。
悔しいけれどこれだけは…マスコミ関係者と接触の多い、ウチの兄キもその一人。

そして。
冴子さん。

兄キがバイトしてるホストクラブ”T's”のオーナーさん。
でも実は、日本でも屈指の商事会社・ITSのお嬢様なんだけど、とってもきれいな優しい人。
兄キとはびみょーな関係の女性（ひと）で、今はまだ恋人未満…ってコトになっちゃうのかな。
三村さんとは、従妹同士にあたるんだって。
――

友貴君は、私の隣のまっちゃんにも、ペコリ、とひとつ頭を下げて。
「先輩。僕、ついに見つけましたよ」
ニコニコ笑顔で私に言った。

「…見つけた、って何を？」
「チョコレトソースですよ！今度のケーキに使おうか、って言ってたやつ。めっちゃうまいっす！味は絶対保証しますよ」
「ああ、あれ…。わざわざ探しに行ってくれたんだ」
「親父の友達に訊いてもらったんです。あれなら絶対、先輩も気に入ってくれると思います。自信あり、です！」
友貴君は誇らしげに胸を張った。

身長は私より５〜６cm高いけど、太陽みたいに無邪気な笑顔は、ジャニーズJr.のコみたいで、ちょっとカワイイ。
クセのないサラサラの髪の毛が、素直な彼の性格をそっくりそのまんま表している。
「恭子ちゃんにも連絡しなきゃ」
「じゃ、今週作ってみます？」
「そうだね。レシピはもうほとんどOKだし…試しにひとつ、作ってみますか」
「はいっ。じゃあ僕、顧問の先生に伝えます。調理室キープしといてもらわないと」
「OK。恭子ちゃんにも伝えてね」
「了解」
友貴君は、ゴムマリの様に駆け出した。

「いいねえ〜、若者は元気があって」
まっちゃんが、妙にしみじみそう言った。
「…まっちゃんってば」
「この差は大きいよ。片や、ついこの間まで中学生だったんだから。若者は疑うことを知らないかんね。このみ、ちゃんとしときなさいよ」
「…？何のこと」
「彼、知らないんでしょ、あんたと森山君のこと。フリーだと思われてたらやっかいだよ」
「またまた！まっちゃんってばほんとに好きだなー、そういうの」
「このみがニブイだけなんだってば！見たでしょ？彼のさっきのカオ。目なんかキラキラしちゃってさー」
「友貴君はいつでもああだよ、誰に対しても」
「そんなワケないって」
「ほんとだよ。彼のはそういうんじゃないの」

友貴君の夢は、お父さんのお店を継ぐことなんだ。
継ぐ、って言ってもただ単に、そっくりそのままいただいちゃうだけじゃない。彼だけの、彼にしか出来ないオリジナルケーキを作ること。

それがどんなものなのか、今はまだ友貴君自身にも判らない。でも、いつかきっと見つけてみせるって彼は強く信じてる。
見た目は確かにかわいくて、ホワンとしてる彼だけど、けっこう芯は強いんだよね。
味覚もとてもしっかりしてるし、お砂糖一杯の変化でさえも、いつも確実に見抜いてみせる。
ことお菓子に関しては、友貴君は趣味でお菓子を作ってる私なんかとーてい足元にも及ばない、すごい才能の持ち主なんだ。

そういうところ。
…なんとなく、浩平と似てる。

夢、とか…
目標、とか…
持ってる人って、みんなどこか瞳の輝きが似てる気がする。

『試してみたいんだ。自分がどこまでやれるのか』
…

あの時も。
心の奥では判ってた。
笑って送ってあげなきゃいけないんだ、って。
浩平の夢。
浩平の目標。
それを叶えるために歩き出したあいつを、私は応援してあげなくっちゃいけないんだ、って。
…

あんたが側にいなくても、私だって自分がやりたいことくらい、ちゃんと見つけてやってるんだからね！
今度あいつに会う時に、せめてそれくらい言い返してやろうとその時誓った。

・・・To be continued.


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