Ｓｙｎｃｒｏ　 　　　　　〜第一章　§3
…君。…森山君。 ―― 頭の奥で声がする。 机の上に突っ伏して、いつの間にか眠ってた自分に、その時初めて気がついた。 「ごめん。シャワー、空いたからどうぞ」 ルームメートの萩原雅巳の声に目を上げた。 体がだるくて…眠くて…どうしようもない。 ここに来て、半年が過ぎた。 一学期の中間テストがじき始まる。 とは言っても、おれ達特待生は指定日までのレポート提出、ってのがほとんどで、前の学校にいた時みたいな、三日とか四日とかぶっつづけのテスト地獄には、もう一年近くあってない。 生まれて初めての寮生活。 24時間、他人に囲まれる日常にも、どうにか慣れた。 慣れたからこそ眠くなる。 柄にもなく、少しは緊張…してたんだろうな。 自分で決めて、自分で選んで、ここにこうしているって事に。 「さすがに疲れたね。今日のメニューは」 雅巳は、人なつっこく笑顔を見せる。 ここへ転校してきてから、一番最初に知り合ったヤツ。 ルームメートだったからってのもあったけど、初めてこいつに会った時には、なんでこんなに、とーそーしんのかけらもないようなヤツが（ごめん、雅巳！）こんなとこにいるんだよ、って、不思議でたまんなかった。 体だってチビだし華奢だし。 でも、まもなくそれは、おれのとんでもない勘違いだったって、いやんなるほど実感させられたんだけど。 … ここでは、部全体を取り仕切るマネージャー（いわゆる監督）の下に、三人のコーチがいて、一人のコーチに四人ずつ専属で指導される部員が続く。 いわゆる精鋭部隊、って事なんだけど、50人近い部員の中から専属のコーチまでつけて指導してもらえるのは、たかだか12人に過ぎないってワケだ。 そいでもって驚くことに、おれも雅巳もその12人の中に入ってる。 中学ん時から、この学校の付属で育ってきた陸上エリートの雅巳はまだしも、ここに来てまだ半年のこのおれが専属コーチまでつけられてるってことは、本人が一番驚きなワケで… だけど雅巳には、おれの走りを一目見るなり、そうなることが判ったって言う。 「森山君はすごいよ。うちのヘッドがわざわざ出向いてまで、来てもらいたがっただけのことはある」 なんともいえないトロそうな顔して言うもんだから、ほめられたのかバカにされたのか判らないけど、そういう雅巳自身だって１00mの高校新を一年の時に出している。 「今日は筋トレ、懲りすぎだったな、ちっと」 「森山君が、『物足りねーな』っていうからさ」 「よく言うよ。雅巳だって、『やっぱそうだよねー』なんつってただろ」 「…そうだっけ？」 「浅岡さんもメニュー見ても何も言わないんだもんな…ムカつくぜ」 「言ったじゃない。それがここのやり方なんだって」 雅巳は笑った。 浅岡さんっていう人はおれと雅巳、他二人の専属コーチだ。 おれをここに誘いに来た大内、っていうヘッドマネージャーの後輩で、現役の体育学部の院生だ。 学生、って身でありながら、おれ達四人を大内ヘッドから”預かって”、指導を任されている位なんだから、きっと優秀な人なんだろう。三人のコーチのうち、そんなのは浅岡さんだけだ。 だけど、雅巳もそうだけど浅岡さんって人も、外観（はため）からは、そんなスゲー人だなんていうイメージはかけらもない。 スウェットかジャージにナイキのトレーナー姿が定番で、雅巳顔負けの平和な顔で、おれ達の練習をニコニコ見てる。 … おれは、小さく息を吐き出すと立ち上がった。 「気楽なもんだよな。何もかも人にさせといて、自分はただ見てりゃあいいんだろ。おれもここのコーチにでもなろーかな」 シャワー室へ向かいつつ、ボヤいたおれの背中に雅巳が言った。 「…森山君、手紙書いてたんだ」 おれは持ってたバスタオルを思いっきり、雅巳に向かって投げつけた。 「何見てんだよ！」 「例の、幼なじみの彼女に？」 「だから見てんじゃねーって！」 机に戻って、まだ数行しか書いていない便箋をピシャン、と閉じた。 「春休みもゴールデンウイークも、帰れなかったんだもんね」 「…仕方ねーよ。元々、帰れるなんて保証はなかったし」 … まさか、新学期早々1ヶ月間も合宿になるとは思ってなかった。 たまの休みは授業の補講や自分の立てた練習メニューの評価に追われて、週末に日帰りでもいいから帰ろう、だなんて、到底余裕なくなっていた。 帰るくらいなら寝ていたい…。 半日でいい。ＣＤでも聴いてゆっくりしたい…。 それまでのおれなら全然考えたこともない、そんな願いを持ってしまっているくらい。 「森山君、電話嫌いだしね」 「今更電話、ってカンジじゃないんだよ、あいつとは」 気が付いた時から傍にいた。 会いたい時にはいつでも会えて… 思ったこと何でも言いあえて… 転校するって決めた事をこのみに話した時だって、もっと、めちゃめちゃ怒ると思った。 急な話だったけど、実は前から少しずつ、考えていた事だったんだ、って… その事だけでももっと早くに、あいつに伝えた方がいいかな、って思ったりもしたんだけれど… ―― あいつ、何も言わなかったな…。 泣くかな、って思ったけど、黙ってじっとおれを見て、不意に一瞬目を伏せてから、そう、って小さくつぶやいて。 このみが、周りの人間のちょっとした変化に妙に敏感になったのは、四年前のあの事故からだ。 傍にいるのが… 会えるのが… 当たり前だと思ってた人が、ある日突然いなくなる。 その怖さをおれたちは―― このみだけじゃない、おれ達は、あの事故以来無意識に頭の中に刷り込まれてる。智兄はこのみの憧れだったし、そう簡単に忘れられるワケがない。 でも、もう四年。 いつまでもこだわってばかりじゃいられない。 別に、兄キや親父の事を忘れたいっていうワケじゃない。 ただ、時間を前に進めてみたくなったんだ。 もうここにはいないヤツらの話なんかじゃなくて、今ここで生きているいるおれ達のことをもっと考えてみたくなったんだ。 今年は、命日にも帰れそうにない。 インターハイがあるからだ。 おふくろは何も言って来ないけど、たぶんこのみはそこんとこにも相当ムカついているんだろうな。 おれがあの日に家にいないだなんて、以前なら考えられなかった。 兄貴が… 智兄がもしも生きてたら。おれはもっと早く、ここに来ることを決めてたと思う。 残されたおれが代わりに守っていかなきゃな、なんて、ガラにもない事思ってたから、あの家を離れる決心を、ずっと出来ないままでいた。 優等生で… おふくろからも親父からも、頼りにされてた智兄。 だけど何か… おれの知らない別の思いを抱えているようにも見えてた智兄。 おれは、兄貴とは違う。 誰からも期待され、信頼されてた兄貴のようにはおれはなれない。 でも。 いや、だから。 おれはおれのやり方で、大切なものを守りたい。 そのために強くなりたいし、ならなきゃいけない。 だから、おれはここに来た。 ここでの生活は、しんどいことも多いけど、まずまずだ。 早く走る―― ただそれだけの事なのに、毎日必ず何か新しい発見がある。 相模高校陸上部っつったら、全国でも屈指の陸上の名門校なんだ。 インターハイ、総体レベルの大会でことごとく上位に名を連ね、今年オリンピックでメダルを取った日本人初のスプリンターも、うちの学校の先輩だ。 そんな学校でありながら、”うるさい”匂いが全然ない。 むしろ自由。 もちろんコーチと相談しながらだけど、基本的には自分で自分の体調や練習メニューも管理していかなきゃならない。 それが出来なきゃ結果として自分の走りに響く。 どんな特訓よりも厳しい選抜方法だと思う。 日本中から才能のあるヤツが集まってくるこの中じゃ、自分を信じるって事さえも揺らいでしまう事もある。 でも… とにかく今はここにいることが、おれがおれでいる事だって思ってる。 …
「ねえねえ、森山君！」 マネージャーの榎本千晶が、おれを呼んだ。 その日の練習が終わって、おれは雅巳と水飲み場にいた。 相変わらずのキンキン声に、うんざりしつつ目を上げる。 当然寮には男だけしかいないけど、相模高校はれっきとした共学校だ。 部の仲間には、千晶のことをちょっと気にしてたりするのも何人かいる。 まあ… 陸上部のマネ、なんて地味な仕事してる割にはかわいい部類に入るんだろう。既に何人かがアタックして、あえなく玉砕したってウワサだし。 いつもは肩の辺りまでのおろしてる髪を、部活の間はひとつにしばって、上の方で止めている。 時々このみもやっていた。…確か、ポニーテール、とか言うんだっけ。 ―― 「来週の記録会、休むって本当なの？」 「だったらなんだよ」 …またその事か。 おれは、うんざりした顔を隠しもせずに蛇口をひねった。 「どーしてよ！？今度の記録会は、インターハイに出場する選手を決める大切な…」 「浅岡さんには許可もらったぜ」 ザバザバ顔を洗いながら、おれは言う。 「今回の記録だけで、決めるワケじゃないっつってたし」 「それはそうかもしれないけど…！」 「いいんだよ。どっちにしたってインターハイには出られるんだから」 千晶は聞くが早いか、蛇口の水を止めちまいやがった。 「ばっ…！何すんだよ！」 「インターハイには出れるんだから、ってそんな弱気な事言ってて大丈夫なの！？森山君にとって最初で最後のインターハイなんだよ！その出場権がかかってるんだよ！」 「判ってるよ、そんな事は！」 「だったらどうして記録会に出ないのよ！」 「そんなのおれの勝手だろ！」 千晶は、ムッと口をへの字に曲げた。 …ったく、どうしてこいつはこんなにうざいんだろう。 来週の恒例の記録会で、二ヶ月後のインターハイに出場する400、1600ｍリレーのメンバーを選考するって事くらい、おれだって忘れてたワケじゃない。 でも、おれはその日は丁度実家に（…こんな言葉使いたかねーけど）帰る予定になっていて、浅岡さんの許しももらった。 それに、今度の記録会の結果だけで選手を決めることはないって言ってたし。 おれには判ってた。 リレー100ｍの四人、400ｍ四人のメンバーのうち、おれと雅巳はほぼ決定だ。 あとは他のチームから何人かずつ来るんだろうけど、問題ない。 雅巳とも口に出しては言わないけれど、お互いにそう思ってる。 それ位の自信はおれにもあった。 ただ。 それをはっきりした形で示されないと納得出来ない、っていう連中がいるのも知っていた。 ここに来てたった半年の―― どこの馬の骨かも判らないヤツに、伝統ある我がチームの（オエ！）リレーを任せて、大丈夫なのか！？って。 浅岡さんや大内監督はそんな事は言わないけれど、どういう形にしろおれの”実力”ってヤツを、キチンと形で示しておきたいってのはあるだろう。 だけどそんな事、今更騒ぐ事でもないわけで、ましてや一介のマネージャーごときがガーガーわめく必要も全くもってないワケで… 「行こうぜ、雅巳」 放っとくことにして、おれはさっさと背を向けた。 「何よ！人がせっかく…」 せっかく―― 何だよ。 言いかけた言葉を途中でやめるなってーの。 気になったから振り向いた。千晶は、じっとおれを見ていた。 「…？何だよ」 「別にっ！何でもないっ」 千晶はフン、と横を向くと行ってしまった。目が大きいもんだから、怒るとそれがランラン光って猫みたいだ。 雅巳に言うと、ぷっと笑って、 「森山君は榎本さんと仲いいよね」 冗談じゃない。 でも雅巳が言うには彼女のことを千晶、なんて名前で呼んだりするのはおれだけだ、って。 だからって一体何なんだ？ 名前で呼ぶだけだったら雅巳もそうだし、このみもそうだ。もっとも、このみとはガキの頃からのつきあいだから、気がついた時からそう呼んでただけの話だし。 … 今週末から家に帰る。 月曜が振替休日で、二泊三日で戻る予定だ。 今年の冬休み以来だから…5ヶ月ぶりか。 特別嬉しい、ってワケもないけど、久しぶりにうまいもんが食える。 この間来たこのみの手紙に”５ｔｈ．Ａｖｅｎｕｅ”に予約を入れた、って書かれてた。 拓さんが教えてくれた店だけど、店長が感じのいい人で料理もうまい。 拓さんも、冴子さんも来るらしい。 …あの二人に会うのも久しぶりだ。 特に冴子さんとは、おれが”Ｔ’ｓ”でバイトしてた時以来だから…一年近く前になるのか。 場合によっては何とか言って、もう一泊してもいいか、とその時思った。 ・・・To be continued. 　　　　　←Back　　Home　　Next→　 copyright（C） twin All rights reserved.