"５ｔｈ．Ａｖｅｎｕｅ"での食事が終わって。
おれとこのみは、店の前で拓さんと別れた。
拓さんは冴子さんと、もう少しここで飲んでくから、って。

冴子さんは、拓さんより少し年上の金持ちのお嬢サマなんだけど、ちょっと不思議な雰囲気の人で……
去年までおれも、冴子さんがオーナーやってる店でウエイターのバイトをしてたから少しは面識があるんだけど、つかみ所がない、っていうか……
気取りのない人ではあるんだけど、心の中では何考えてるのか判んねーっていうか……
もっとも、おれなんかから見れば冴子さんは完全に大人なワケだし、仮に何か話したところであの人が望んでいるような答えを出してあげられる筈もないんだけれど、何となく……
どことなくあの人は、智兄と似ていた。

優等生で……
何でも出来て……
誰からも信頼されてた智兄。
冴子さん、って初めて紹介された時からそんな気がした。
美人で……金持ちで……頭が良くて……
他人から見ればうらやましい限りのお嬢様なのに、バーとかのオーナーやったりしてて、何か……どっか哀しげで。

拓さんがどう思ってるかは知らないけれど、自分の本心を押し殺しているようなとこは智兄にもあった。
それが拓さんといる時だけは、ほんのちょっぴり表に出せているように見えた。
このみが、みょーにあの人になじんでいる訳も、結局みんな心のどこかで、智兄の事を追っかけてるんだ。
四年もたつのに。
かくいうおれも赤の他人の……それも女の人に自分の兄貴を重ねるなんて、そーとーに重症だよな、って思うけど。
……

――
「明日行くんでしょ？智兄ちゃんのお墓参り」
当たり前の様にこのみが言う。
おれが帰ってきた目的のひとつがそれだったから、当然と言えば当然だけど、当たり前のその言い方が引っかかった。
「あー……悪い。明日はちょっとダメになったんだ」
「えっ？」
このみがびっくりしておれを見る。
「ちょっと！どーいう事よ！？」
「どーいうって……別に……おれにだって都合ってもんがあるんだよ」
「都合って何よ！智兄ちゃんに会いに行くのに、他にどーいう都合があるのよ！」
「……お前なあ」

変わっていない。後先考えずポンポン言葉をぶつけてくる。
いつも……
いつでもそうなんだ。智兄のこと……
智兄のことに関しては、こいつはいっつも……

「いい加減にしろよ。おれだってそのためだけに帰ってきた訳じゃないんだ。明後日には行くよ。帰る前に必ず寄ってく。それでいいだろ」
「……」
このみは不満そうに唇をとがらせた。
久しぶりに会ったのに……開口一番智兄、かよ。
予想はしてたことだけど、ここまで見事に的中させてくれやがって。
「八月には……インターハイがあるしさ」
「……」
「コンディション、整えておきたいんだ。同じ部屋のヤツもがんばってるし、三日も何もしないでいるわけ行かねーんだよ」

前にいた陸上部に一日だけ、一緒に練習させてもらえるように頼んであった。
でも、別にそれは何時でも……
そのせいで智兄の墓参りに行けない、っていう訳でもなかったんだけど……

「智兄ちゃんよりインターハイの方が大事なんだ」
このみがまた突っかかる。
「そうだよね。そのために転校したんだもんね。あんなに嫌いだった特待生にまでなったんだもんね」
「……何だよ、その言い方」
「だってそうでしょ。だったら何のために帰ってきたのよ」
「だから！誰も行かねーとは言ってないだろ！帰る前には必ず寄るって！」
「……」
自分でもヤバイと思う位、つい言葉がキツくなる。
このみは一瞬驚いて、でもすぐに負けじとおれを睨み付けた。

……
おれってば、何をこんなにムキになってんだ。おれはおれのやり方で、こいつを守るって決めたのに。
忘れられる訳がない。忘れたいとは思わない。
それでいいって……決めた筈だったじゃないか。

「……あーもう！判ったよ。判ったからそんな顔すんな！」
根負けして、おれは言った。
「明日、何時だよ。待ち合わせ」
「……」
「みんなで行くんだろ、智兄に会いに」
「……九時。お兄ちゃんが乗せてってくれるって。でも！」
「九時だな。……了解」
「ほんとに、いいの……？」
「しつこい」


おれが――
どうして転校してまで陸上やってみようって思ったか、こいつは少しは判ってくれているんだろうか。
お前のために……
おれのためだけじゃなく、お前のために……
おれはおれのやり方で……
智兄とは違うやり方で……お前のことを守りたいって、まがりなりにもそう思って……
だから――
だからそのために、もっと強くなろうと、そう思って……

「インターハイ、応援行こうと思ってるんだ」
このみの声に振り向いた。
「ムリすんなって」
「ううん、行くよ。絶対行く。まっちゃんともそう言ってんの。一緒に行くから」
「……ああ。そうだな」
「ごめん。私……」
小さな声で、自信なさげにこのみが言う。
「ちょっと、言い過ぎだったよね」
……

智兄は、このみの憧れだった。
優しくて、頼りになって、何でも出来て。
気が付いた時から傍にいて……離れることなんて考えてもなかった。
それだけに、あの突然の出来事は言い表せないほどの衝撃で……

だから、このみが四年たった今でさえ、墓参りひとつにこだわる訳もおれには判る。
そんなこのみを残したまま、一人で転校するって事がどういう事か。
この８ヶ月。おれだって何も思わなかった訳じゃない。
手紙とか……
電話とか……もっと努力するべきかもな、って。
でも……

おれたちには、もっと違うやり方があるんじゃないかって……
あったっていいんじゃないか、って・・・そう思ってきただけで……

「……そうだ。これ、忘れてた」
肩に下げてたスポーツバッグから、小さな紙袋を取り出した。
「おみやげ。出発まで時間がなくてさ、お前の分しか買えなかった」
中は、ドライフルーツの詰め合わせセット。
この間雅巳に教えてもらった輸入雑貨の店にあったやつ。
いつか、このみのことをちょっとあいつに話したときに、お菓子とか作る人だったらこんなのどうかな、とか言って勧めてくれた。
遊び人には見えねーけどそういう所、妙に気の付く奴なんだよな……。

「あ。これ、浩平が選んだんじゃないでしょ」
「……一言余計だって。けっこううまいんだぜ」
さっそく、オレンジピールのひとかけらを口の中に放り込む。
「うん！おいしい」
「戻るまでにそれで何か作ってくれよ。ま、時間があったら、の話だけど」
「OK」
このみは笑ってうなずいた。


――
『どうせ兄キの言うことが正しいって言うんだろ！いつだっておれの言うことなんか何も聞いちゃくれないくせに！』
『優等生には判んねーよっ！ほっといてくれよっ！』
……

智兄とは……
もっと、いろんな話をしてみたかった。
つまんない意地なんかおいといて、これからのこと……おふくろのこと……このみのこと。
兄キとしての考えを、もっと訊いてみたかった。優等生には優等生の辛さとかもあったかも知れないし。
……

『心配しなくていいんだ』

今でも時々智兄の声が聞こえる気がする。
……
『浩平は、何も心配しなくていいんだよ』
……

ガキの頃。
おふくろが夜勤で出かけた後、親父は当然のように帰りが遅くて、何となく心細い思いのおれに、智兄はよくそう言った。
本当は、自分だって心細かったんだろうに。
それでも一生懸命おれをかばって、守ろうとしてくれていて。

一体――
何がそこまで、兄貴を必死にさせたんだろう。
親父もいて、おふくろもい……
そりゃあどっちも家には全然いなかったけど、だからって、どうしてあいつがあそこまでがんばらなきゃいけなかったんだろう。
おれといる時。
兄貴はほんとは、何を考えてたんだろう。
……

・・・To be continued.

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