syncro1-7

今日は、おふくろが深夜の入りで、事前に美佐子おばちゃんと話がついていたらしく、
「浩平君。今日は天ぷらだからね」
なんて明るく言われて、久しぶりにこのみの家に行った。

皿の上に山になって乗っかった天ぷらを見て、いくらなんでもこんなに食い切れるワケねーだろ、って呆れてたけどみるみるうちになくなって、最後はかき揚げ丼にまでしてもらった。
おばちゃんの作る天つゆは、うちのおふくろが作るのと全く同じ味付けだ。
わざわざおれ達兄弟のために、おばちゃんはウチのおふくろに作り方を教わったんだ。
それは、おれが子供の時から変わってなくて、「おばちゃん、このおつゆ、うちのと同じ味がする！」なんておれが言ったのが、美佐子おばちゃんにはエラく嬉しかったらしく、以来ずっと変わらない。
天つゆだけじゃない、他にも色々……
おばちゃんは、おれ達兄弟のために本当に気を遣ってくれている。
おれ達は、この人に育ててもらったんだ、って言い切ったっていいほどに。

家に戻ると、おふくろが起きて来た。
とてもじゃないけど、看護婦なんてキンチョウ感のある仕事をしてるとは思えない。
ボサボサ頭をなでつけながら、大っきなあくびを二連発。

「これ、おばちゃんから」
「わー、サンキュ」
テーブルの上にいつものように"お持ち帰り"の天丼と、サラダと味噌汁の入ったポットを乗せる。
おふくろとおばちゃんが仲がいいのは判ってるけど、10年以上もこんなことまでしてもらっていいのかと思う。
智兄がいたら何て言ったろう。「そうだよな、何とかやめさせなきゃな」って言うか……。それとも笑って、「まあ、いいんじゃないか」なんて言っただろうか。
美佐子おばちゃんって人も不思議な人で、そういうヘンな気遣いを全然感じさせない人だから、案外「まあ、いいんじゃないか」で許されたかも知れない。

「お墓参り、行ってくれたんだって？」
丼をレンジに入れながら、おふくろが言う。
おれは、ポットの中身を鍋にあけてガス台に乗せた。
「花買ってくの忘れて拓さんに怒られた」
「・・・拓君、乗っけてってくれたんだ」
「この間も来たって言ってたよ。今でも毎月欠かさず来てるみたいだった」
「ありがたいわね。智紘の人徳が成せるワザかしら」

テーブルの片隅には五年前。
まだ、親父も兄キも生きてた頃の写真が飾ってある。
一輪挿しには、早咲きの小さな向日葵が二本。
おれが中学に入って、智兄が高校に合格して、それぞれの制服を来てそこにいる。
おれ達二人を挟むようにして、おふくろと親父。撮ってくれたのは織原のおじさんだ。

チン、とレンジが鳴った。
おふくろが立って丼を取り出す。おれも立って鍋の下の火を止めた。
止めながら……なるべく何気ない風を装って訊いてみた。
「智兄がタバコ吸ってたの、母さん知ってたか？」
「知ってたわよ」
ずっこける位簡単におふくろが言う。
「何だよ。知ってて何も言わなかったのかよ！」
「智にも色々あるんだろうな、って思ってね。中二の頃から、だったかな」
「親父には？」
「言うワケないじゃない。言ったところでうろたえちゃうのは見えてるもの」
「……そーいうもんかよ」
「浩平だって知ってたでしょ」
おれは味噌汁をよそって、ドンッ、とおふくろの前に置いた。
勢いで、テーブルの上に汁がこぼれ散る。

「……何よ、そんなにショック？」
「中二でタバコを吸い始めてさ、高二になっても止めてないんだぜ。明らかにフツーじゃねえよ」
おふくろは箸を取ると、天丼を食べ始めた。
「あの智兄がだぞ！変だって思わなかったのか？！」
「そういう浩平はどうなのよ。智に何か訊いてみたの？」
「……」
「あの子が、そういう子じゃないって事判ってる。だから訊けなかったんじゃない。いつだって自分の問題は、自分で解決してきた子だった。タバコを吸ってた以外、普段と何も変わらなかったじゃない」
「だから、尚更変なんだよ。あの智兄が何もないのに……それもここで、この家にいても吸ってるなんてさ」
おふくろは、食べる手を止めておれを見た。

「……おれ、よく判らないんだ。智兄の考えてた事。本当はどういうヤツだったのか。自分が、兄貴と同じ歳になってもやっぱり判らない。出来過ぎだったよ。兄貴としても長男としても。一体どこで、どうやって、空気抜いてたんだろう、って位精一杯緊張してて。ずっと、智兄ってそういうヤツなんだと思ってて、疑ってもみなかった。でもさ……家族なのに、どうしてそんなにあいつだけ、緊張してなきゃなんないんだよ」
「……」
「拓さんが言ってた。それが智兄の役割だったんだって。自分が必要とされてる手応えを一番感じ取れる場所だったって。一体どういう意味だと思う？」
「……」
「必要とされてるって手応えを感じ取れる場所って、一体どういうイミなんだよ！」

おふくろは、一瞬何か言いかけた。
でも、喉元まで出かかった言葉を飲み込むように、また箸を取って食事を始める。
「……拓君に訊いてみればいいじゃない。私には、よく判らない」
「あんた智兄のおふくろだろ！」
「こら！あんたとは何よ、あんたとは！」
「母さん、智兄の事どれだけ知ってた？本当はどういうヤツだった？誰にとっても優等生で、何でも出来て、ただそれだけのヤツだったのか？！教えてくれよ、もっとおれに兄貴の事をさ！」
一気に言葉が飛び出していた。

――
ずっと……引っかかっていた。
四年もたって、それでもまだおれの心に、このみの心に生き続けてる智兄の事。
そして……親父のこと。

おれがたったの一回墓参りに行かなかっただけで、今でもこのみはあんなに気にして……ムキになる。
おれが智兄を忘れてるんじゃないか、って。
そういう時のこのみは、幼稚園の頃のあいつみたいに小さく見える。
おれはおれのやり方であいつを守るって決めたのに、その思いさえ頼りなくなる。
拓さんだっておんなじだ。
四年もたって、未だに毎月墓参りに通ってるなんて、肉親のおれ達以上のエネルギーだ。
あの人にとって、智兄が一番の親友だったからだとしても、生前の約束を果たすためにバイトして……
自尊心を傷つけてまで金をもらって……
オーストラリアに行こうとするなんて、誰にも出来る事じゃない。

「確かに……智には、たくさんの我慢をさせてきちゃったから」
おれの勢いに押されたように、おふくろが口を開いた。
「私もお父さんも家をあける事が多かったしね。どうしても智に『お願いね』って頼んでしまう事が多くって……智も、それに応えることが自分の役割、みたいに思ってたかも知れないわね」
「何頼まれても、断ったことなんかなかったもんな」
「そうよ。覚えてるでしょ、あんたが熱出すと、私の代わりに学校休んでくれたりして。『僕が浩平みてるから、お母さんお仕事行っていいよ』って。知らず知らずにこっちも智をあてにして……その事を拓君は言ってるのかも」

……智兄は、本当はそういう自分が嫌だったのか？
でも……
拓さんは『智はそういう自分が窮屈だったワケじゃない』って。

――あの時。
ベランダで、智兄がタバコを吸っているのをおれが偶然見た時も、全然動揺してる様子じゃなかった。
あと少し……
おれ達の間が近かったら、並んで一緒にタバコをふかしていたかも知れないなんて思える位。
智兄は、あの時おれに何か言いたかったんじゃないのか？
おれに向かって本当は……何か、言いたい事があったんじゃ……

……
「拓君に何聞いたか知らないけど……何なのよ、いきなり」
おふくろは、ため息をついておれを見た。
「半年ぶりに会ったのに、いきなりケンカ売ってんの？あんた」
「……そんなんじゃねーよ」
一応言ってはみたものの、どこかに割り切れない思いも残る。

「拓君……他に、何か言ってなかった？」
「他にって？」
「私、彼には嫌われてるから」
「……へっ？」
おふくろは肩をすくめて笑って見せた。
「誰が嫌われてるって？」
「私が、よ。私が拓君に」
「何でそう思うワケ？」
「二人の仲を邪魔して来たから」
「だって、仕方なかったんだろ。仕事だったんだし。智兄も拓さんも、そんなのとっくに了解済みのコトじゃん」
「とにかく……半端じゃなかったからね。あんたも小さい頃はしょっちゅう熱出してたし。必然的に面倒見るのは智だったから、一番ワリを食わされてたのは拓君よね。二人の約束がドタキャンされちゃう事なんか、当たり前だったから」
「……」
「智にもずいぶんムリさせちゃった。周りの気配を人一倍察しやすいコだっただけに、家の都合と拓君に挟まれて、けっこう切ない思いもしたと思う」
「だったら、おふくろが休んでやればよかったじゃん」
「……大人には大人の事情があったの」
おふくろは気を取り直したように箸を取った。

「一度……拓君に詰められてね。『おばちゃん、どういうつもりなのっ、いい加減にしなよ』って。迫力あったなあ。キレイな顔してるだけに、ちょっとドキッとしちゃうよね。」
「子供の頃の話だろ……？第一おれ達が家に行っても、全然迷惑って風じゃなかったぜ」
「彼の敵は私。あんた達じゃないわ」
「敵、って……何だ、それ？」
「……」

おふくろは聞こえないふりをしてTVをつけた。
もうすぐ10時だ。
深夜勤務のおふくろは、いつも11時に家を出る。準夜から深夜への申し送りは、夜中の０時から始まる。
「ねえ、浩平」
「何だよ」
「今度、会ってほしい人がいるんだ」
「会ってほしい人？」
おふくろは、うん、と小さくうなずいた。
その目がちょっと困った様な、照れくさそうな、心配そうな風におれを見る。
「再婚、するかもしんない」
……

何気なく耳に入ったその言葉。
そろそろそんな一言が聞かされてもいいのにと思った事もあったっけ。
でも、いざその日が来てみると、イミさえよく判らないほど遠い言葉に思えたりする。
「どんなヤツ？」
「医者なんだよね」
「大丈夫なのかよ。相手が子持ちの未亡人で」
「だから、一度浩平に会ってほしいの。あんたに見極めてほしいのよ」
「……」
おれは立ち上がると、マク゜カップにインスタントコーヒーを入れて、湯を入れた。

智兄は、どんな時でもちゃんとドリップしてコーヒーを入れた。
どうしても豆を挽けない時はレギュラーコーヒーだったけど。
別に、それに逆らっている訳じゃない。
けれど智兄が逝ってから、おれのコーヒーはもっぱらインスタントになった。
「会って、って言うんなら会ってもいいけど・・・おれ、明日寮に帰るぜ」
「別にいいのよ。会ってさえくれるんならいつだって」
「……」

自分から会って、って言っといて、いつでもいいって答え方があるだろうか。
その程度のもんなのかよ、って突っ込みのひとつも入れたくなる。
「いつからつきあってたんだよ。全然気がつかなかった」
「結婚を意識し始めたのはつい最近よ。それまではお互い愚痴の聞き役みたいな感じ」
おふくろの話を聞きながらコーヒーをすする。その目は自然と、写真の中の親父とぶつかる。
月のうち半分以上は出張で、留守にするような人だった。
智兄に似て細身の長身で、滅多に怒らない人だった。
たまに休みで家にいると、キャッチボールなんかもしてくれた。
『うまくなったなー、浩平』
のんびりとした声がかかる。その一言が嬉しくて、全力で投げたのを覚えてる。
……

再婚、だってよ。父さん。

あれから四年。
おふくろが新しい生活にトライしてみたいと思うのもムリはない。おれだってそうだ。いつまでも、あの日と同じじゃいられない。

……忘れた訳じゃない。
ただ、いつまでもここにいる事が歯痒いような……物足りないような……そんな気がしてるだけなんだ。
あの日、大阪行きの飛行機に親父と一緒に乗ったのは、おれだったってよかった筈だ。
智兄が、おれを生かしてくれた。
だとしたら。
いつまでもここにいるだけじゃ、いけないように思えて来る。
おれはおれのやり方でもっと前に、行けるとこまで行ってみたい、行かなきゃいけないんじゃないか、って。
……

・・・To be continued.