syncro1-8

浩平が帰る日が来た。
三日間なんて、ほんとにあっという間。
新幹線の時間まで、私につきあってくれるっていう約束だった。

来た時と同じ、大っきなスポーツバッグを肩にぶらさげて浩平が歩く。
こうしていると、もうあと何時間かでまたこいつと離れてしまうなんて信じられない。
去年の今頃はこうやって、私たちいつも一緒にいたのに。
・・・

「あのね」
こないだまで浩平にとっても通学路だった道を歩きながら、私は兄キが卒業したら家を出るって言っていた話をした。
「そっか。いよいよ決めたんだ」
「一応都内だけど、ほとんど家にいない生活になるみたい。あっちこっち飛び回って写真撮ってる人らしいよ」
「拓さんらしいじゃん」
浩平の頬に笑いが浮かぶ。

らしい・・・って言われればそうだけど――
その並木先生、って人の写真は確かにきれいで、見る人の目を惹きつけずにはおかない何かがあるけど、そんな風にその道だけで食べていけるようになるためには、才能も運もそして努力も人一倍・・・ううん。人十倍は必要じゃないかって思うんだ。
そんな世界に・・・
あの兄キが入っていけるのかな。

昨日の話を、ゆっくり思い出してみる。
浩平みたいに、何かを掴みたいから新しい世界に進んでみよう、っていうんじゃなくて・・・
拓兄キの心の中には、智兄ちゃんとの夢を追いかけていたい、そんな想いの方がずっと強いように思う。
あの人が見つめていたいのは、今も過去。
智兄ちゃんと一緒にいたあの時の自分。
そんな気がする。
なりゆきで始めたモデルの方は、来春までスケジュールが決まってる。
それなのに、代理店とかにも何の相談もなしに"やめる"なんて決めちゃって・・・
元々が軽いバイトのつもりで始めた仕事だったとは言え、こんな無責任でいいワケがない。
高校生の私が考えたってそう思うのに・・・。

「どうしたんだよ、おっかねーカオして」
信号待ち。浩平に言われてハッとした。
「ううん。何でもない」
笑ってごまかしながら、浩平を見上げる。160cmの私より、15cmは上にある瞳がこっちを見てる。
そんな時。
『浩平、かっこよくなったよな』
不意に頭の中に、兄キの声がこだました。
ふわりと吹いてくる風に、浩平の髪がサラリと揺れる。
ちっちゃな頃から変わらないクセのない、真っ黒な髪の毛。
ニキビひとつないつるつるの額が、無造作に下ろした前髪からのぞく。
それをかき上げる指先は、見かけによらず長くてきれい・・・。

瞬間、顔から火が出たみたいに真っ赤になった。
わっ・・・私ってば、何考えてんのっ！
浩平のこと、そんな風に思ったことなんて一度もなかった。かっこいい、とは思ってもきれい、だなんて・・・
兄キじゃあるまいし、きれい、だなんて・・・！
胸がドキドキした。あんまりドキドキするもんだから、音が聞こえちゃうんじゃないかと思うくらい。

・・・確かに。
浩平は変わった。
たった半年、離れて暮らしていただけなのにまるで別の人かと思う位に。
・・・ううん、出てくる言葉も笑った顔も、間違いなく浩平の筈なのに、ふとした拍子にドキッとするほどステキに見える。これは誰？って思う位に。

もうあと何時間かでまた離ればなれになっちゃうんだ、って思ったらめちゃめちゃ寂しくなってきた。
自分だけこんなにステキになっちゃって、自分の夢を追いかけて・・・
私、これからもあんたについて行けるのかな。
あんたはこうしてたまには後ろを振り返って、私を待っててくれるのかな。
これからも・・・そして、この先も。
・・・

「お前は、これからどうすんの？」
心を見抜かれたかと瞬間思った。
「なっ、何を？！」
「進路、とかさ。一学期も終わるし、面談あるだろ」
「・・・うん。あるにはあるけど・・・まだはっきりとは・・・」
「頼りねーなあ。進学とか、就職とか位は考えてあるんだろ？」
「進学はするよ。するつもり。でも、まだどこに行くとかは・・・浩平は？」
「おれ？おれは進学するよ。陸上もう少し続けたいし」

・・・だよね。
予想はしてた。そもそも浩平が来年春に働いてる姿なんて想像できない。
信号が変わった。私たちは肩を並べて歩き出す。
「このみ」
「何？」
「お前、進学しろよ。おれと同じ大学」
「・・・へ？」
「大学じゃなくても短大もあるしさ。こっちへ来て寮に入ればいいよ」
「こっち・・・って？」
浩平は黙った。
周囲のざわめきが遠のいて、頭の中に静かに次のあいつの言葉が響き出す。
「春になったら家出てさ、一緒に・・・来ないかって言ってんの」
・・・
横断歩道を渡り終えて、私はも一度浩平を見た。浩平もそれに応えるように足を緩めて立ち止まった。

「おれ、このまま・・・向こうで陸上続けてみようって思ってる。今のコーチに誘われててさ、正直言って迷ってた。やってみたい気持ちと、このままお前と・・・・その、離れてていいのかな、って思いと・・・」
「こっ、浩平、あんたね」
「最初は、一緒にいなくちゃダメになるようなおれ達じゃない、って思ってた。離れてたって・・・気持ちがあれば大丈夫だ、って。それに・・・進学してからも向こうに残る気はなかったし。でも、いろんなヤツに出会って、勝負して、やっぱりここにいたいと思った。今のコーチもいいヤツだし、これから勝負して行きたいヤツもいるし・・・それに
・・・」
・・・それに？
続きを言いかけて、浩平はいや、と言葉を濁した。
「こっちに来いよ。なっ？」
・・・

――
混乱、してた。
浩平が卒業してからも向こうに残るなんて言い出すなんて、全然考えてもいなかった。
力試しの筈だったんだ。
ちょっと試しに行ってみて、来年の春には一緒にいられるんだ、って。
陸上続けるにしてもこっちでも出来る事なんだし、って。
・・・でも、それは甘かった。考えてみれば判る事だった。高二の秋に転校を決めた、それが何を意味するか。
浩平が陸上を続ける限り、ここに戻ってくるなんて、あるワケないっていう事が。
・・・

四年は長い。長すぎる。
浩平が向こうの大学に進んだとして、卒業して・・・ここに戻ってくる保証は何もない。保証どころか、おそらく・・・
たぶん・・・
そのまま浩平は戻って来ない。
そんな気がした。
・・・

立ち止まったまんまの私たちを気にもかけず、たくさんの人が流れてく。みんなそれぞれの目的地へと涼しい顔して歩いてく。
私は・・・？
そして・・・私は・・・？

言いかけた浩平を、キッと見据えて唇を噛んだ。
「・・・ずるいよ、浩平は」
思ったことが真っ直ぐ言葉になって飛び出した。
「一人で勝手に・・・勝手に一人でそんな事・・・このまま向こうに残る、って、そんなのいきなり言われても・・・！」
浩平は黙って私を見てた。
「そんな話、こんなとこで・・・歩きながら切り出すような話じゃないよ！」
「じゃあどこで切り出せばいいんだよ」
「・・・」
「もっと後になってこんな話したって、もっとお前びっくりするだろ。どうして早くに言ってくれないのって怒るだろ」
「当ったり前じゃない！」
「だからさ。だから、夏休みの前に言った方がいいって思ったんだよ。こないだみたいにギリギリ時間切れってのはやめよう、って思って」

・・・
やっぱ気にしてたんだ。転校決めたのがあんまり突然だった事。
ほとんど事後承諾みたいに私にそれを打ち明けた事。

「そう思うんなら・・・帰って来てよ」
・・・判ってたんなら。
・・・私が、納得した上での転校じゃないこと、判ってたんなら。
「このまま離れてていいのかな、って思ったんなら帰って来てよ！」
浩平は黙った。
私ってば・・・ヤな女だ。浩平のコトを困らせてる。
この春の、すっきりしなかった自分の思いをこんな形でぶつけてる。

浩平が歩き始めた。私も慌てて後を追う。
追いついた所で浩平が言った。
「おふくろ、再婚するってさ」
「え・・・っ！？」
「相手は医者らしいけど。今度来た時会う事にした」
私は思いっきり驚いた。

一体何で！
どうしてそういう大事なことを、次々とこーいう所で言うんだろう！

「ちょっと！本当なの！？それ！」
「ウソ言ってどうするんだよ。おれだけじゃない。みんな変わってくんだ。少しずつ」
「・・・」
「拓さんも家、出るんだろ。生きてるんだから。みんな変わってって当然なんだよ。おふくろだって、親父の事忘れた訳じゃない。だけど、いつまでもこのままでいたって仕方ない。新しい相手と、新しい生活を始めてみようって思ったって、全然なんの不思議もない。もう四年だぞ。あれから四年もたったんだぞ」
「今そんな話してないじゃない！」
「いいから聞け」
浩平は言った。

「このみが、智兄の事大好きでここを離れたくないって言うのは判る。でも、もういい加減、頭切りかえたっていいんじゃないか？今、ここにいる自分の事考えたっていいんじゃないのか？」
「・・・」
「このままここにこうしてたって、増えるのは思い出だけじゃないか」
「智兄ちゃんの事は関係ないよ！」
「うそつけ。いつも智兄の事になるとムキになるくせに」
「浩平には判らない！やりたいことがあって、目的もあって、目指すものがはっきりしてて、そういう浩平にはわからないよ！」
浩平は足を止めた。
「・・・このみ」
「私だってこのままでいいなんて思ってない！変わってくのが当たり前だなんて判ってる。でも・・・ううん。それだから、一緒にいたいんじゃない」
「・・・」
「いつも・・・いつまでも変わらないまま、ここにいたいって思うんじゃない！」
・・・

伝わらない。この思い。
今までだったら・・・感じたことのなかった心のキョリ。
行くべき所。行きたい所。
それをはっきり見据え始めた浩平に、私の思いは届かない。
ついて・・・行けばいいのかも知れない。浩平が言ってくれている通り、一緒に行って、付属の短大にでも通えば、それでいいことなのかも知れない。
でも・・・そうじゃない。

昨日。
兄キと一緒に見た、浩平の走ってる姿はステキだった。
本当に、ううん。本当は、兄キに言われるのよりずっと早くにそう思ってた。
でもそれは、私の知ってる浩平じゃない。
ずっと・・・一緒にいてくれる、私を守るって言ってくれた、いつかのこいつとは違ってた。
何が・・・？
判らない。
浩平がステキになったワケ。
それは何より、向こうでの生活が充実してるからに決まってる。
でも、それを素直に喜べない私がここにいる。
浩平といて、こんな思いになる事なんか一度だってなかったのに。
・・・いつから私、こんなイヤな人間になっちゃったんだろう・・・今すぐ、ここから消えちゃいたいよ。

――
その時だった。

「織原先輩」
聞き覚えのある声がした。
振り向くと、向日葵みたいな笑顔が弾けた。
「どーしたんですか、こんなとこで。買い物ですか？」
友貴君は無邪気に尋ねた。
続けて何か言いかけて、私の後ろにいる浩平に気づいた。浩平も、そんな友貴君の方を見てる。
二人の間にほんの一瞬、言葉にならない何かが走った。ピリピリと心に触れてくる様な何か。
「あ・・・あのね、友貴君、紹介するよ。幼なじみの森山浩平。ずっと隣に住んでてね、去年までウチの学校にいたんだよ」
「知ってます。森山先輩はウチの学校の伝説だもの。100m高校新のタイ記録出した人でしょう？ぼく、会田友貴っていいます」
・・・
友貴君の笑顔は、いつもと何ら変わらない。人なつっこく浩平に自己紹介をした。
それなのに、浩平は不機嫌そうに口を結んだままだった。
「陸上やるために転校までしちゃうなんてすごいですよ。僕にはとてもマネ出来ないな。大切な彼女を一人残して」

友貴君の目が、いつもと違う輝きで浩平を見た。
何だか・・・まるで、何かを挑んでいるような・・・
えっ？これが友樹君？って思う位の強い光。

・・・僕ナラ、ソンナコトハ絶対シナイ。

「・・・えっ？」
ふとそんな風に聞こえた気がして、友貴君に聞き返す。
けれど。
「済みません。せっかくのデートの邪魔して。・・・それじゃ、先輩、また明日」
最後はいつもの、屈託のない友貴君の声がした。
うん、またね、って答えて手を挙げる。
（友貴君、浩平のこと知ってたんだ・・・）
浩平は、彼が入学した四月にはもう転校してたから、二人が会うのは今日が初めてだった。それでも彼は、浩平のコトを『知ってます』って言っていた。『ウチの学校の伝説だもの』って。
・・・
そりゃまあ確かに、高校新タイ、なんてスゴイ記録がウチのような弱小陸上部からでる事自体ニュースな訳で、実際地元紙には、けっこうハデに取り上げられたから・・・”有名”と言えなくもないんだろーけど。
・・・

「お菓子クラブの一年生。駅前のケーキ屋さんの息子さんなの。お菓子の事、たくさん知っているんだよ」
浩平は黙って私を見た。
・・・見た、って言うより、にらむ、みたいな、ちょっと恐いカオだった。
「・・・何？」
びっくりして聞き返す。でも浩平は、別に、ってぼそっと答えて歩き始めた。
「・・・何よ、どうかした？」
「どうもしねーよ」
「うそ。今、こわい顔してるクセに」
「何でもねーって言ってんだろ！」
思わずびくっ、と肩をすくめる。

・・・何よ。
何でいきなりそんな大声出したりするのよ！？
浩平も、さすがにそう思ったのか気まずそうに目をそらす。
「別に・・・来たくないんならムリにとは言わない。でもおれは・・・」
「・・・」
「とにかく、おれは決めたから」
・・・

結局――
いつもそうなんだ。浩平が私に何か言う時は、自分の考えは決まってて・・・
私が何か言った所で、それが変わるわけでもなくて・・・
私って・・・一体何なのよ。
私なんかいなくったって、自分で自分のやりたい事を自由にやったらいいんじゃない。わざわざ事前に断ったりなんかしなくったって、好きにすればいいんじゃない。
・・・せっかく、久しぶりに会ったのにどうしてこんなんなっちゃうの？
――

浩平は行った。
新幹線に乗って、来た時と同じに、あっという間に行ってしまった。
「じゃあな」
別れ際。
あいつが言ったけど、私は黙ったままだった。
じゃあな、じゃないよ。
こんな気持ちのままなのに。あんたが行くこと、私全然納得してないんだよ！

浩平が車両に乗り込んで、シューン、って扉が閉まった時。
不意に涙がこぼれて落ちた。
・・・こんな気持ちのまんま、ここにおいて行かれるコト。
・・・こんな気持ちで浩平と、離ればなれになってくコト。
それが悔しくて仕方なかった。
がんばって、って・・・笑ってあげられない自分のことが、どうしようもなく嫌だった。

浩平の目が、驚いた様に私を見てる。
新幹線の扉越しに何か言ってる。でも、聞き取れない。
あいつの声は・・・届かない。
ガラス一枚隔てた向こう。
こんなに近い筈なのに。
・・・

・・・To be continued.