| Ｓｙｎｃｒｏ 〜第六章 §4 |
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「三村さん…」 『どうしよう』とか―― 『話しかけてもいいのかな』とか――考える前に声が出ていた。 三村さんが振り向いた。 さすがに、すぐには言葉が出なかったみたい。 それくらい驚いたんだと思う。一番聞かせたくない人に聞かれてしまった…そんな顔。 私たちには、いつもほんとに優しい人だったから、こんなに感情を顕わにした声、私だって聞きたくなかったし、三村さんだってきっと聞かれたくはなかったと思う。 …それでも。 聞き返さずにはいられなかった。 このまま黙っている方が、きっともっと不安になるから。 「このみちゃん…」 私がそこにいるコトを、確かめてるみたいに低くつぶやく。 「ごめんなさい…私――」 「…」 「あの…」 「…」 「ごめんなさい！…立ち聞きする気は全然なくて…」 三村さんは微笑んだ。 「冴ちゃんね、今、日本に帰ってるんだよ」 「えっ…？」 「明日、みんなも戻って来るんでしょ？彼女もここに顔出してくれるって。拓にも浩平君にも黙っていよう。きっとびっくりするよ」 「…」 言葉の真意を確かめたくて、三村さんの顔を見直した。 笑ってる――。いつもと同じ優しい笑顔。 「…冴子さんに、何かあったんですか？」 「ううん」 三村さんは首を横へと振った。 「拓のことを心配してた。病み上がりで出かけたみたいなものだからね。カウンセリングの先生が身近にいるわけじゃないし…もう少し時間が必要だったんじゃないかって」 「…」 「海の中って、そういう判断が陸以上に求められるものだと思うしね」 「…」 色とりどりの熱帯魚。鮮やかな珊瑚礁。 ダイビングって、そういったものとは裏腹にちょっとした間違いが大きな事故に繋がりかねないという事は、私も兄キから聞かされていた。 だから、当然判ってる筈。 そうでなければ、仮にもプロの写真家さんの助手として海に潜るなんて出来っこない。させてくれる筈がない。 …そうだよ。 だからこの間の時は、強引にクリニックにまで連れて行かれて、ダイブ禁止にもなったんじゃない。 智兄ちゃんがいなくなって、もう四年。 なのに未だにこうやって、出来事の重さに押し潰されそうになっていて… 変わってくコトと変わらないコト。 そんな“温度差”がこにもある。 「時間(とき)が解決してくれる、って――さ、言うじゃない…？」 浮かない顔の私を気遣う。三村さんは話を続けた。 「だけど、それってほんとは違ってて…時間が解決して行くんじゃない、自分で自分にどうやって現実との折り合いをつけさせてくかって、事のような気がするんだよね」 「…」 「時間が経つほど、喪失感ってどんどん逆に強くなるから…自分を守るには、何とか現実と折り合いをつけて、受け入れるしかないんだよ。悲しいとか、寂しいとか、そういう気持ちと向き合ったままでいるのって、辛いでしょう？誰だって」 うん…とうなずく。 「だから、受け入れる。折り合いをつける、現実と。それは悪い事じゃない。自分で自分を守るって、生きるのに大切な気持ちだからね。嫌いな人と会う時だって、嫌われてるって思うと辛いから自分があの人を嫌ってるんだ、って考えようとしたりする。自然な心の動きなんだよ」 「…三村さんは？三村さんもそうやって…気持ちに“折り合い”をつけて来たの？」 「いや…。出来たらいいなとは思ってる。ただ…これが本当に正しい方法かどうかは判らないんだよ」 「…」 「僕は強い人間じゃないから。このみちゃん達のようには、いつまでも真正面から考えていられなかっただけだかも知れない」 三村さんの話は静かに心の奥へと落ちた。 今なら判る。浩平と一緒に考えたこと。置いて行くんじゃない。何処までも一緒に連れてくこと。それくらい大切な人だから、新しい出会いを大切にして、このまま一緒に歩いてくこと。 きっと今の三村さんも、そういう事を伝えたかったんだと思う。 だけど…今、冴子さんが心配してるのはお兄ちゃん。 ―― ―― 祥子おばちゃんの一件があってから、兄キが不安定なのは感じてた。並木先生の紹介で、カウンセリングを受けに行ってるのも知ってたし… そこで出されてる薬をいくつか、飲んだりしてるのも知っていた。 並木先生が、そういう事を全部承知の上で、兄キを慶良間に連れてったのも確かな事で―― 現実と折り合いをつけて、心の平静を求めるのは悪い事ではないと、三村さんは話してくれた。だけど兄キは… そういう事に最初から、背中を向けてしまってるような気がする。 ――『苦しく…ないの？こんな風に、智兄ちゃんの想いに縛られて』 『縛られて…？』 いつか私が訊いた時、兄キは、何を突然って顔で笑って見せた。 『上等じゃん。智の為なら――智の分まで。それしか、おれにはもう出来ないし』 ―― 冴子さんは、お兄ちゃんの何を心配してるの…？ 聞いてしまった電話のやりとりは、冴子さん自身の事も三村さんがひどく気遣ってたように感じたのは…私の気のせい、だったのかな…。 こんな言い方、失礼だけど…上手に話を逸らされた――そんな気がする。 「何か食べてく？久しぶりに来てくれたんだし、ご馳走するよ」 お店の開店時間が過ぎていた。 気を取り直したように三村さんが笑顔を見せた。 「…そうだ。私、三村さんに食べてほしいものがあったんだ」 肩にかけてたバッグから、作ったばかりのチーズタルトを二つ取り出した。 「今ね、『フリーズキール』の新作ケーキを考え中なの」 友貴君と一緒に作った試作品のチーズタルト･二号と三号。 三村さんはそれをお店のお皿に乗っけてくれた。 お店には、すでに何組かのお客さんが入ってた。三宅さんがメニューを広げて注文を取ってる。 「コーヒー、いれるね」 私は首を横へと振った。 「明日またみんなで来るし、浩平にも自慢したいの。私は私で新しい事始めてるんだよって。だからその時、感想とか色々聞かせて下さい」 「そう…。がんばってるんだね、このみちゃんも」 「私は、あいつみたいな才能ないし。私でいいって言ってもらえる事なら、やってみようかなって、そう思って」 ――そうでもしないと…判らなくなる。 自分がどうしてここにいるのか。 ここにはもうない命。ここに今でもある命。 それが何故…誰が、どうやって決めるのか。 何も出来ない自分がここにいるワケ。いられるワケ。 いてもいいと思えるワケが――。 三村さんはうなずいた。 「明日、七時にね」 「うん。楽しみにしてますね」 笑顔の影で、私がまだ知らない何かを悟られまいとしてくれてる三村さん。 傷つけること。誰かが傷つくことに切ないまでにデリケートな人。 ぴんっと張り詰めていたものが、ほんの少しだけれど安心に変わる。この人の優しさが何処から来るのか――判っていてもそう思う。 いつも以上に元気なふりで、“5th.Avenue”の外へ出た。 |
