「浩平！」

空港ロビー。

JALの入国カウンターの辺りをうろうろしてると、聞きなれた声に呼び止められた。

「ばか。待ち合わせ場所違ってるだろ。ずいぶん探したんだぞ」

行き交う人が途切れた所で、声の主を確認する。

「拓さん、今着いたとこ？」

「ちゃんと時間通りに着いたってば。お前こそ何処から出た？ちゃんとメール見たよな」

「見たよ！見たけどさ…」

――改めて目の前にいる相手のコトを見直した。

この間のインターハイ、応援に来てくれてたのは知ってたけれど、ろくに話も出来なかった。だから、この人とゆっくり会うのは１、２箇月ぶりってコトになる。

細身の体に、Tシャツとアイスブルーのストレートジーンズ。

普通なら、何てことない格好だけど…
元々がこういう外見の人だし…

外で待ち合わせなんてしようものなら、スカウトから逆ナンまで、ありとあらゆる人種が声をかけて来るなんて日常茶飯。コロンの匂いも、片耳だけの小さなピアスも、最後に会った時と変わっていない。

…けど何か――

何かが前のこの人とは変わった気がした。

「悪かったな、おれなんかの出迎えで。このみのヤツ、色々支度があるらしくってさ」

「別にいいよ。…出迎えそのものもいらなかったのに。拓さんだって、今日帰って来たとこなんでしょ」

「まあな。羽田から直接ここに来たんだ。お前こそ初の海外遠征から戻ったってのに、色気のない出迎えで残念だったな。――荷物は？それだけ？」

「ああ。ほとんど先に送っちゃったし」

「オッケーオッケー。じゃあ行くか。…何だよ、さっきから人の顔まじまじ見ちゃって。何かついてるか？」

「いや…。そうじゃなくって――」

――拓さん変わったね、って…

言いかけた言葉を呑み込んだ。

一緒に帰国した浅岡さんや雅巳たち、陸上部の連中は、東京駅から新幹線に乗り換えて、待ち合わせのおれを残して、とっくにいなくなっていた。

一方おれと拓さんは、スカイライナーに乗り換えるために歩き始めた。

その時、ふと…

前を行く拓さんの背中を見てて気がついた。

さっき、久しぶりに会った時、『変わった』って感じた理由がひとつ。

…この人、こんなに肩幅広かったっけ…？

珍しく健康的に日焼けして…

そう言えば、今は沖縄で写真撮ったりしてるんだっけ…。ダイビングも趣味と違って、仕事となると大変なのかな。

ボンベとか…いかにも重たそうに見えるしな。

子供の頃は女の子に間違えられたり、怪しいストーカーにつきまとわれたり…

本人の意向に関わりなく、智兄なんかずいぶんハラハラさせられたって聞いていた。

本当は、見かけほど女っぽい人じゃないんだけどな。

おれは拓さんとつるんでは色んないたずらもよくしたし。

「ね…ねえ、拓さん」

「うん？」

「どうする？このまま、すぐ店に行く？」

例によって、今日は“5th.Avenue”に夕飯の予約を取ってある。

おれは今朝のこのみとの、打ち合わせ通りに話しかけた。

「ああ…そうだな。予約、7時だって言ってたっけ。まだ早いよな。男二人で茶でもする？」

――そうそう。

待っていたんだ、その返事…。

――

『お兄ちゃんの飛行機の方が浩平より先に着いちゃうの。だから…』

今朝。向こうを出発前に、このみと打ち合わせした内容はこうだった。

１．   拓さんには、おれを向かえに来てもらう。

２．   そこでおれが拓さんに、杉崎先生と話す時間を取ってもらう事を約束させる。

おふくろに、あの先生と一緒に北海道に来てほしいなんて話が出てるとは知らなかった。

でも、それを反対する理由はなかったし…

好きにすればいい。それが正直な感想だった。

「…それにしてもおふくろのヤツ、どうしておれには何にも言って来ないんだ？」

「お兄ちゃんが反対してるからに決まってるでしょ」

電話の向こうでこのみが言った。

「お願い！兄キに『杉崎先生と話してみて』って浩平から頼んでよ。あんたの頼みなら兄キも聞いてくれるかも知れないし」

「ちょっと待てよ。妹から頼んでもダメなのに、どうしておれが頼めば『聞いてくれるかも』になるんだよ」

「…いっ…いいからいいから！あんたのお母さんのコトなんだしさ、何とかお願いっ！」

「…」

――

『あんたのお母さんのコトなんだしさ』

そう言われると言い返せない。

智兄が抱えたまんまで逝ったもの。

今となっては、拓さんがおふくろの再婚に反対する理由もおれには判る。そして、それをそのままにしてちゃいけないワケも。

おふくろのためだけじゃない。

拓さんのためにも、そして智兄のためにも。

空港の中は、おれなんかより拓さんの方が全然詳しい。

何度も外国に行ってるし…冴子さんと劇的な？再会を果たしたのも、このターミナルの中だった。

そうだ…。

あれからもうまるまる一年、たっちゃったんだな。

拓さんに連れられて、適当なコーヒーショップに席を見つけた。

「どうだった？向こうでの調子は」

10日間の海外遠征。初めて踏んだドイツという外国の地で、得られたものはたくさんあった。

でも今はそのコトよりも…

「あ？ああ…。まあまあだったよ」

「ドイツって、おれも行ったコトないんだよな。やっぱ暑いの？こっちみたいに。あ、でも緯度的には少し上なんだから涼しいのか」

「そうだね。東京の…五月くらいの気温だって言ってたよ」

「ライン河クルーズなんてやってみた？有名らしいじゃん」

…

――おれの思惑なんか全く他所に。拓さんは延々楽しそうに話し続けた。

この人って…こんなによく笑う人だったんだ…。

黙っていれば雑誌のモデルみたいに綺麗な顔だと思うのに、真っ直ぐな目でおれを見て、子供みたいにきらきら笑う。

この人は、おれにとっては永遠に…年上なんだって思ってた。

一生懸命背伸びして…何とかしてこの人に――この人たちに追いつきたくて…それだけで。

けど――今ここにいる拓さんからは…そういう感じが全然しない。

「なぁ、浩平」

「…え？」

「ちょっと向こう向いてみ」

「え？何？」

「いいから。ちょっと向こう向いてみなって」

何が何だか判らない。言われるままに半分後ろを振り返る。

「何だよ、誰かいたの？」

「そうじゃない。…お前、そうすると智に似てるんだよ」

「…は？」

「横顔が。お前の兄貴にそっくりなの」

「…」

「ごめんな。それだけ」

拓さんは、にこっと笑うと口をつぐんだ。

「…ねえ、拓さん」

思い切って切り出した。

「うん？」

「拓さんは、どうしておふくろの再婚に反対なの？」

「そういうお前はどうなんだよ」

「おれは別に…」

「そうだよな。浩平は、おばちゃんには幸せになってほしいんだもんな」

「拓さんは…？そうは思わない？」

「思わない」

「何で」

「今のままでも幸せじゃんか、あの人は」

「…」

「お前の旅立ちを見送って、このみの悩みの聞き役で、誰にも邪魔されずに好きな仕事して。それで何が不満なんだよ」

「不満とかそういうコトじゃなくってさ…」

「そういうとこ――」

「え…？」

「お前のそういうとこがさ、根本的に違うんだよな、智紘と」

「…」

言ってから、拓さんはごめん、とまたおれに謝った。

「…仕方ないか。そんな話をお前にしたって」

「仕方なくなんかないよ」

むっとして、おれは言い返す。

「仕方なくなんかないから話してよ、もっとそういう事をさ」

「…」

「そうだよ。おれは智兄とは違う。けど、おれはおれだから。智兄だったらどうしたかとかじゃない、おれが自分で考えたいんだ」

瞬間。拓さんの顔から笑顔が消えた。

――怒らせたかな…。

綺麗なだけに…この人のこういう顔って凄みというか――

思ってることすっかり全部見透かされてしまいそうな…そんな感じで――

…そっか。

さっきは、おれに智兄を見てたから…

だから――いつもと違うって…そんな風に感じたのか。

智兄といた時この人は…こんな風に笑ってたのか…。

「簡単に壊すなって事」

「何をさ」

「智が守ろうとしたものをだよ。よりにもよって当の本人が。切り替え早すぎ」

「どうして…壊しちゃいけないのさ」

「智は守ろうとしてたんだ。一人っきりで」

「…」

「おれ達は――少なくともあの人は知っていた。知っていて何もしなかった。いなくなったら、じゃあ自分はもっと幸せになります、ってか？納得出来るか、そんなもの」

「でも…それを言ったらおれだって――」

「お前は違う。智はお前には前に進んでほしいって思ってた」

「…」

「違うんだよ、お前とおばちゃんとじゃ。あいつにとっては全然違うの」

ほらな。やっぱり判らないだろ、お前には。

…そう言う代わりに拓さんは、小さくため息を吐き出した。

「…で。このみは何て言ったんだ？」

「えっ？」

「おれに何をしてほしいんだよ。だからお前を迎えに行けって言ったんだろ？」

「…このみは関係ないよ」

「お。かばってる♪」

「そうじゃない！確かに最初はあいつから、拓さんに杉崎先生と話すよう約束取って来いって言われたよ。けど今はそんなのどうでもいい」

「…」

「…やっぱりそんなのおかしいよ。ウソで固めた家族を守って、それを今でも守り続けて、何の意味があるんだよ」

「意味なんかないよ。けれど智には全てだったんだ。それがあいつのあの家での、たったひとつの意味だったんだよ」

「…どうして――」

「おれに訊くな。仕向けたのはお前らのおふくろ達じゃんか」

「…」

拓さんは、淡々とそう言った。

ジーンズのポケットからタバコを出して火を点ける。

…やがて。

その頬に小さく笑みが浮かんだ。

「会ってもいいよ。会えばいいんだろ、その医者に」

「…」

「祥子おばちゃんの婚約者。杉崎、とか言うんだっけ？あいつ」

「…別にいいよ、ムリに会ってくれなくたって」

「ふてくされるなよ。せっかくお前のがんばりに免じて、会ってやる気になったんだぜ。このみには思いっきり恩売っとけよ」

「…会ったって、どうせ認めるつもりもないクセに」

「どうかな。勝負はやってみなくちゃ判らないじゃん？」

「…勝負って――」

笑って見せる。

いたずらを思いついた時。この人はよくこんな顔をした。

「おれさ、浩平のコト好きだから」

「…は？」

「ここまでがんばられちゃ喜ばせてあげたいなって。このみに成果、持って帰ってあげたいんだろ？」

「――拓さん！」

「形はどうあれ約束はした。セッティング出来たら教えなよ」

「…」

何処までが本気なのか冗談なのか判らない。もしかしたら、今言ったことが全部冗談だったとしても、たぶん驚かないだろうとその時思う。

むすっ、としたまま黙っていると、

「そういう所。ほんっと似てるな、お前ら二人」

細く吐き出す煙の向こう。

拓さんは嬉しそうに笑って見せた。

 

･･･To be continued.


　　　　　　　　　　　　　　



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